時空を超えて−春男の雑記−83 あなた、明日が見えますか

◆檻に入れられた犬の表情を見ていたら誰でも胸を打たれる。空な眼差、肩を落として鳴く気力もなく、前足を揃えて一点を見ている・・・。これは時々新聞に出ている後一週間位で飼い主が出て来なかったら薬殺される犬の写真である。その犬には自分が死ぬなんて事は全然わからず、見たり聞いたり経験した事のない、未知の恐怖に唯本能的にじっとすくんでいるのである。それに対して動物愛好家なる人がいろんなコメントをしていた。

◆今から五十年程前、終戦の年の春、私に現地召集の赤紙が来た。何月何日午後五時、ハルピン駅停車場指令室集合と言う事で、その頃は誰もが見送り人の一人も無く、ポツリポツリと集まってきた。停車場指令室の憲兵上等兵は絶大な権力を持っていて、既に何人かを引率して集まってきた。兵隊と引き渡し事務をしている間、汽車は何時迄も待っていた。

◆やがて汽車は動き出したが、誰も何処へ行くか知らない。東満平陽とだけは知っているが、それからが皆目見当が付かない。不安の“ルツボ“にはまり込む。それに誰も顔見知りなぞ居ない。そして一人が夕食の弁当を食べ出すと皆一斉に食べ出したが誰も一言もしゃべらない。食べ終わったあともしゃべらない。

◆皆一様に押し黙って、うつろな目で一点を見ている。漠然とした不安、平陽と言う聞いた事もない未知の場所、厳しいとは事毎に聞かされていた。軍隊生活、そして逃れられない死の不安・・・。こうしてレールの上に乗ってしまえば汽車じゃないが好むと好まざるとに拘らず押し流されて行くのだ。戦争中の若い者は今の人みたいに自由奔放に暮らしていたわけでもないが、それなりに少しは自由に暮らしていたのだが・・・。薄暗い車内の窓の外には明り一つ見えない満洲に広野が続いていた。

◆先日の日経新聞に「原油高騰にインフレの芽」と云う記事が一面に出ていた。春には価格が一バーレル9ドル台に暴落していた石油が、生産調整が偉力を発揮して、半年程で四倍近くの23ドルにまでハネ上がった。正にインフレの芽である。原価高による生産低下、品薄とくれば否応なしにインフレに入っていくのである。デフレと言う相反する現象とがある日、突然すり替わるのである。

◆企画庁長官なんて言うえらい人がよく見ていたらこの頃だんだんおかしくなってきた。私達は、いくら長官が景気は立ち直りつつあると言っても嘘言え、まだまだ下がっていくではないかと夏頃盛んに言ったものだが、ここへ来て下方修正せざるを得ない状態になった。行方も聞かされずに汽車に乗せられて、暗がりの広野をどこかへ連れて行かれる。皆暗い明かりの下で押し黙って何も言わない。しかしこれで良いのだろうか。今年も暮れようとしているが・・・・。

(平成11年12月20日)