時空を超えてー春男の雑記ー67 「現代棟梁」馬鹿で出来ず利口で出来ず

◆「現代棟梁」田中文男の世界に就いて書いて見る「尾崎、谷口、堂の前、神の真向い、仏の真尻。」と言う綾言葉が播州にはある。山の尾根の先、谷の入口、お堂の前にはよく供養塔とか庚申塚があり、何か事故か天災のあった処に多い。又神社の前には「潰れ屋敷」等がありその外は墓地で、昔からそれらは地相として良くないとされているので家は建てない方が良いとしたものだ。家一つ建てるのもおろさかにしなかった。

◆今までは、植林、山林業を川上にして、川下までと言う理論であったが少し違う様に思う。山林業者は百年、材木屋は半年、
建築物は出来たものに対して二十年と言う考え方をしている。田中さんは、乾燥剤を使わないとクレームが付く、然し乾燥する
までの金利は誰が持つのかと言っている。ここへ入っていかないで生木ばかり売っている。ここへ入っていかないで生気ばかり売っていると材木屋は亡んでしまうと言っている。

◆「屋根屋のお茶勾配」と言う言葉がある。茅葺屋根の職人は、物差しを持たないで仕事をする。お茶だよと言う掛け声で下りて来ると、並んで立ち小便をする。そして皆夫々が振り返って屋根の勾配の話になる。俺んとこ一寸張ってるからお前とこも一寸張っといてくれなんて事になる。それでお互い直し乍ら仕上げていく事になる。だから「家の恰好と嫁にもらう女は遠くで見ろ」という事になるのだ。

◆次に仕事は端で勝負と言っているが、壁を中心に言うなら壁と壁の取合が問題になるのであって真ん中はどうでも良い、誰に
でも出来るので、端をどうやるかが分かってないのがやるからダメ仕事が出来てくると言っている。

◆継手仕口のお殆どはどんなに精巧に造られていても組み上げられたら隠れて了う。むしろ隠す事を目的に造られていると言って良い。そして之が日本建築の耐久力を保持してきたのであるが、現在では仕口組を軽視して金物補強している。仕口を取ると言う初心を忘れてはならない。日本建築の特徴はこの仕口にあるのである。

◆ここに東大寺の再建に一生を捧げた重源に言及している。東大寺南大門は部材が四つより成り立っていると言う。柱と梁桁は
別だが、継ぎは四つの部材を何百組も造って出来上がっている。鋸(のこぎり)と言う道具がない時代に完全にシステム化し、
大きい物は運搬が出来ないので地元で大斗升、枠肘木方斗、養斗と部材化された物は地方に分散して製作し、経済効果をねらったのだから、六百年も前の話としてはすごい。

◆今、この田中さんの様な棟梁が出てきたのは、昔返りか知らないが、或る意味では吾々古い業界の生き方を示唆しているのではないか。私達も考えなかったら出口はないと言う事です。

(平成11年4月5日)