時空を超えてー春男の雑記ー75 旅館「俵屋」
◆二、三日前の新聞に「京都俵屋等76件登録文化財に答申」と出ていた。登録文化財とは歴史的な景観をつくり出している近代の建造物等を保護する制度となっている。大したものだ。
◆作家の村松友視が「俵屋の不思議」と言う本を出している。何が不思議なのか今一つ分からないが、俵屋の「おかみさん」佐藤年さんは、京都芸大の美術学部デザイン科の教授であった故アーネス・サトー氏の奥さんである。そしてここに語られているのは、俵屋を廻る職人集団との係りである。
◆伊勢神宮の二十年周期遷宮は技術温存の為であると言われているが、矢張りここでも、職人の技術を生かす現場があり、技術が伝えられ生かされていく様だ。年さんは、「京都は職人さんが面白いんです。私は京都の人で誰が好きと聞かれると職人が好きと言う位好きです。これは京都でないと分かってもらえない『これをこうして』
と言えば、それだけで注文に応じてくれる職人さんが京都には居るのです。」
◆これは言えているのだ。私もかつて現場をやっている時、便所の戸を網代にしようと思い、五分目の筏を造ってもらおうと探したのだが大阪、名古屋には無く、九分以上しか出来ず、五分は無理だと言う。昔は便所の戸は大体どこでも椹のヘギで、一寸気のきいた借家であれば、その位の戸は付けていた。ごく当り前のものが出来なくなっていたが、京都へ行けば、千本今出川の天喜等では方々にこまかい網代を使っていた。
◆話は横へそれたが、ここで「洗い屋の凄味」と言うのがある。吾々現場の仕事で一番困るのは、二三ヶ月程して出てくる手形である。天井などに出てくれば終りである。そこで洗い屋の登場となる。洗い屋の道具は簓で、孟宗竹のヒゲみたいな竹を一寸五分位の束にして麻緒でギッチリと巻き締めてあるのを、手桶の苛性ソーダ―の液に付け、トントンと手桶のフチを叩いて水を切り洗っていくのだ。
◆俵屋ではお客さんが帰ると各部屋の風呂を洗う。風呂は高野槙で、大きさは1m×70㎝の普通家庭用サイズである。
これを男衆と称する男性従業員が洗いにかかるのだが、毎日丁寧に洗っていても大体二年たてば専門の洗い屋さんにかけないと全体に人間の脂をにじみ出てくる。これを取るのが洗い屋と言う事だ。
◆今吾々の生地の木材を扱う業界で一番のネックは職人さんの減少である。お施主さんが望んでも職人がいないのだ。
ここでも京都「中村外二工務店」の社長が言っている様に生地の良い材料に余り馴染みのない大工さんは、材料にのまれるのである。一流の材料に初めて出会った時、どうしても圧倒されてしまう。材料にのまれては職人としての存分な仕事は出来ない。その通りであるが、いくら”じょうばんじょう”でも、良い仕事から永らくはなれていてはどう仕様がない面がある。
現代は吾々業界も職人も受難の時なのだ。
松村友視著「俵屋の不思議」より
(平成11年8月5日)