時空を超えてー春男の雑記ー81 筒男の神
◆私の大きな菊の花が見頃となると愈々秋も酣である。大阪木材商伊勢講の代参は丁度この頃に行なわれる。一応昔のままに総てが取り行なわれる。一反風呂敷の様な大きい講旗を目印にして、遅れない様に百人乍りの参加者がぞろぞろと内宮さんの方へ歩いて行く。そして御垣内参拝と言って特別扱いで全員玉垣の中へ入れてもらって参拝する。それは有難いのであるが、参道一面に敷かれた石は普通玉砂利と言いたい処がなんと、角の尖った石で、良い靴をはいていたらたまったものではない。開いて見たら、大峯山へ参る時に険しい山谷を荒行しながら行く様にこの少しの道程を荒行すると言う事で、足元の悪いところを足をぐねらない様に歩かねばならない。
◆無事代参も済み、伊勢参りの最後の納め行事として、住吉さんへ世話人一同お礼参りすると言う様な事が行われていることも随分と古いしきたりである。
◆住吉さんには筒男命と言う名の三神が祀れている。神功皇后が三韓に侵攻するに当り、お伊勢さんにお伺いを立てると筒男の神に頼みなさいと言う御神託が下った。上、中、底と三人の海の神様で、一人は、私は皇后の命を守りましょうと言い、一人は戦いは私がしましょうと言って舟の舳先に立って水先案内をした。
◆住吉さんは、戦の神として、又旅の安全を祈願する神として今日に至っている。天皇も海外へ行く場合は住吉さんへ安全祈願をするそうで、吾々庶民がするのは当然である。
◆大体筒男の神とは何とも納得のいかない意味の分からない名前である。そもそも、死んだイザナミの命に黄泉(よみじ)へ逢いに行ったイザナギの命が、追手に追われてイラツヨモ坂を駆け降り、命からがら、神事の時のお祓いの祝詞の文言としてよく知られた「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」にたどり着き、黄泉で汚れた衣を脱ぎ捨て、身を浄める。その時左目から天照大神右目から月夜見命、そして耳からそして最後に鼻から筒男命三神が出てくるのである。
◆又一説に、神功皇后が挑戦に渡る時、博多のあたりから、当時の舟の状態では当然対馬に寄ったと思われ、その時対馬の西端のつつ港に滞在した事は間違いない。そこで皇后の傘下に豪族である筒男の兄弟三人が馳せ参じたのであろうと言う説を読んだ事がある。
◆何れにせよ伊勢講は、代参が済んで一週間位の間にお礼参りをさせて頂いている。日の暮れるのも早くなった秋の愈々深まった神域を世話人夫々安緒の気持ちを胸一ぱいに抱いて神前に額づくのである。この時だけは皆さん真面目です。
(平成11年11月20日)