時空を超えてー木々高太郎の雑記ー⑧なまこ
◆五月の那須を、吹き渡る爽やかな風の心地良さに、芭蕉と曽良は、ついうかうかと半月ばかり過ごしてしまった様だ。
◆万事に行き届き旅なれた曽良にすべて任せた芭蕉は、土地の可愛らしい少女とも馴染みになった。女の子の名前は大変珍しい「あかね」と言った。そして
あかねとは 八重撫子
の名なるべし
と一句読むのだが大変きれいな言葉の続いた句で芭蕉の句か曽良の句か未だに意見が分かれているが、私は芭蕉の句としては一番良い句と思うし、好きな句でもある。
◆旅好きな二人は旅に明け暮れるが、曽良は神社関係に明るく、芭蕉の旅のサポーターとしては最適任であった。
曽良の句で私の好きなのは、曽良が長島にいた頃のもので、
袂より春は出たり
松葉銭
子供にやる年玉は穴明銭を松葉に通して渡す信州地方の習慣だと思われるが、余り多額とも思われない穴明銭のお年玉、雪深い信州のお正月が描き出されている。
◆俳句などで生物を扱ったのには本当に感心してしまうのがある。蛸、海鼠(なまこ)、海月(くらげ)等々で勤勉な蟻さんや蜂さん等は余り出て来ない。なまくらと言った方がぴったりする感じが好まれる様だ。
「蛸壺で大安心の睡眠をむさぼる”蛸”」
そして次に待っている彼の運命的な事柄が単純で分かりやすいだけにユーモアと悲哀を感じると共に、共感を与える。
海鼠なんて大体何時もどうして暮らしているのだろう。半分砂にもぐって口だけ上を向けて開けている。そしてプランクトンの濃い海流の流れる日、薄いのが流れる日で満腹の日と一日、二日と腹のへった日が続くと云う。
更にその上を海月が、これも自分ではどう仕様もなく流れに身を任せ、波のまにまに漂っている。海月を見つけた”海鼡”はつい、云いたくなる。
憂き事を 海月に語る
海鼡かな「召波」
◆召波宗匠は材木屋のことをよく知っている人なのだろうか。
(平成8年12月15日)