時空を超えてー木々高太郎の雑記ー⑩うすずみさくら
◆新春”朗読への招待”と言うのをラジオで3日間に亘り放送していた。昨年物故した司馬遼太郎、遠藤周作、宇野千代の作品が取り上げられていた。優等生の司馬、自由奔放な遠藤の代表作品の一部を安岡章太郎等の朗読ありコメントありで、正月らしい楽しい番組であった。そして宇野千代については瀬戸内寂聴が友人としてエピソードを織り交ぜて語っていた。
◆以前、新聞の日曜版に「生きて行く私」という題で宇野が連載していたのを読んで、何とすごい人だなぁと思った。次から次へと男を変えていくのは、読み物としてそのプロセスを克明に描いているので面白いのだが、その相手が物凄い。人生劇場の作家、尾崎士郎、洋画家の東郷青児、そして北原武夫とくれば凄いとしか言い様がない。
◆瀬戸内は、宇野さんは尾崎士郎が一番好きだったと語っている。そうだろう。人生劇場の吉良常青成瓢吉等男ッポイ、男の体臭のする人物である今時古い話かも知れないが、義理と人情をあの位克明に描いた小説は少ない。小説とはその主人公に作者が自分の思いの丈を語らせているのだ。小説とは作者そのものである。宇野千代ならずとも女であれば尾崎が好きになるのは当然だろう。
◆尾崎と別れた直後の宇野は、たまたま仕事で愛人と心中して一人生き残った東郷青児にインタビューに行く。そしてそこで尾崎と別れたばかりの宇野と東郷は傷をなめ合うのである。現代風に言えばこうしか言う方法はない。
◆「翌朝、何か敷布がゴワゴワするのでよく見たら、死んだ人の血のりが乾いて付いていたけれど少しも恐くなかった」と瀬戸内に語ったと云うのだからこれはすごい。
◆また取り上げられた朗読の中に文楽の頭師、天狗久として徳島の大江己之吉の語りがあった。若いうちは数をこなすが年を取ると、一つ一つを之が自分の一番良い作品かも知れないが、次は必ずこれより良いものを作ると心に決め、前に作った物の事は一つも憶えていないと云う。「人形師はそこまでで、それ以上は人形使いの分野だ」と以前、文楽人形使いの吉田玉男がTVで話していた。
◆宇野千代で今一つ云わねばならないのは、無類の桜好きと云うことである。岐阜県根尾村の薄墨桜も宇野によって蘇生した。花の下は三反にも及ぶという。この巨木は今年も四月中旬には花開くであろう。この偉大な作家は再び帰ることはないが、桜は春になると花開くのである。