時空を超えてー木々高太郎の雑記ー⑱鐘の音

◆黛敏郎さんが亡くなった。黛さんと云えば誰でも「題名のない音楽会」と云うだろう。音楽の分析の仕方が常人と違うのである。彼の友達連中が大なり小なりステージの上で肴になった様だ。

◆岩城宏之氏は、そのエッセー集「からむこらむ」で、そのウサを晴らしている。岩城氏は黛氏に乗せられて「題名のない音楽会」に当時著名な指揮者四人と出演した。その中には、この番組のレギュラーでもあった髭の山本直純氏もいた。何をするかと云うと、どの位メトロノームの様に正確にタクトを振れるのか、オーケストラの伴奏でピアノを弾けるか、等々だった。

◆岩城さんの一番の難問は、黛さん指揮のオーケストラの伴奏で「オーソレミオ」を歌うと云う事で、彼はどうにもならないのでウィスキーをボトル半分位呑んでベロベロで歌ったというから大変だ。

◆岩城氏はこんなものは「ナオズミ」の様にひどい歌でも恥ずかしがらずに大声で唄っているヤツの歌は良いものだが、それに引き換え自分の歌は・・・と大変な自己嫌悪に落ち入り、三ヶ月位はくよくよと本気で廃業を考えたと書いているから被害甚大である。ヤル方もヤル方なら、やらす方もやらす方だが、一方、黛、岩城両氏の友人としての、その絆の深さには感心する。

◆次に私と黛さんとの僅かな係わりを書いてみる。随分前にテレビのCMのビデオ取りに茨木の毎日放送のスタジオへ行き、黛さんと「二十の扉」の藤倉修一さん監修のもとにビデオ取りをやったが、そのCMソングが余りにも大阪的な音楽で、お気に召さなかったのか、CMにはほんの少ししか写らなかった。

◆彼の終生の傑作「涅槃交響曲」が、ある宗教団体の肝煎りで、厚生年金会館でレコーディングされた。指揮は山田和緒氏で実演収録である。笙を五人程吹いてくれとの事であった。何しろ大編成のオーケストラで、分厚いスコアを渡されても何が何だかわからず、あっという間に済んでしまった。

◆今一つは昭和天皇の在位七十年を記念して黛氏が作曲した「昭和天平楽」と云うのであるが、たまたま東京に行った時、国立劇場で発表会があった。知人に頼んでリハーサルを見せて貰った。これは雅楽の持つ本質的なところをキチっと押さえて作曲しているので大変安定感のある様に感じた。

◆当時、何人かが雅楽の新曲を作っていた。世の中は、そう云う流れの中にあった、何十年も伝世した音楽を、現代感覚で組み直しても、どうにもならないことをよく知っていた様だ、最後に彼はこう語っている「この数年来、私は鐘に惹かれてしまった様だ。どんなに素晴らしい音楽も、余韻嫋々たる鐘の音の前には色褪せた無価値のものとしか響かないのは、一体どうしたことだろう」・・・。

(平成9年4月25日)