時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㉕てつかぶと

◆晴れ上がった初夏の空を眺めながら、ポーランドのコルベ神父は、かつて何年か過ごした日本の長崎を思い出していた。小高い山の中腹にあった浦上の天主堂の鐘の音、それは布教用冊子の印刷、発送の仕事に明け暮れるおだやかな、今思えば楽しい毎日だった。

◆ここアウシュヴィッツの収容所には、ユダヤ人が入れられている。今朝はガス室に送る人間の選出をしているのである。彼等は広い中庭に一列横隊に並ばされ、殆どが足元の地面を見ている。そして自分の方へ近づいてくる足音を祈る様な気持ちで聞いている。コルベ神父のところで止まった足音は、つと隣の余り大きくないやせた若い男を指差した。トタンに男は泣きくずれ、自分にも妻も幼い子供もいる、ここでは死にたくないと叫ぶ。じっとこれを見ていたコルベ神父は「私が代わりましょう」と足を前へ踏み出した。

◆先日来、米国は、戦時中ナチスドイツが欧州で、第二次大戦中に占領した国々から奪った金塊38億ドル分をスイスの銀行に預け、スイス経由で第三国への貿易その他の決済に当てていたのをつきとめた。ここで米国マスコミの関心は、ナチの強制収容所の犠牲者の金歯等ユダヤ人所有の金が溶かし込まれていたと云う一点に集中しているのである。

◆ホロコースト(大量虐殺)の犠牲者の資産が溶かし込まれていた事が判明した以上スイスは、ユダヤ人犠牲者に返還すべきだ、哀れなユダヤ人の金歯までも商売道具にして省みないスイスは非道の金貸しだと大変な事になった。然しスイスは明快に、金塊問題は決着済、今さら蒸し返す方がおかしい、まして戦時下小国の生き残る為の外交戦術だと反論している。

◆日曜日。兵舎の前に一列に並んだ兵隊は週番下士官に服装検査を受ける今日一日の事を考えると顔が自然とほころびる。所持品は手帳、ハンカチの他に大切なものは鉄兜である。商標「突撃一番」てなんて云うものである。

◆それが今はからずも慰安婦問題へと入っていくのである。当時では余りどうと云う考えもなく、内地外地を問わず行われていた事だが、やがて日本では神近市子先生のご尽力とご婦人の力で売春禁止法が出来上がり、様相が一変した。

◆外国の兵隊さん達は如何されていたのか、皆さん紳士国の方々だから。日本は各国の抗議を受入れ、決着済なんて言わずに応じている。良く云えば大人の国である。スイスはアメリカの様な大国に対してでも国民が打って一丸となって反撃をすると言うところは大したものだ。

(平成9年7月15日)