時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㊴風土記(二)今は昔の物語

◆出雲は神話の国である風土記には、神話とも古老の伝承とも言える話が数多く残されている。然し、和銅六年大和朝廷の命令の報告書には、かつて高天原(たかまがはら)を追放されたあの有名な素戔嗚尊(すさのおのみこと)の武勇伝“大蛇退治”の物語はなく、その原形と言われている“一つの目の鬼”の伝承が語られている。

◆昔、阿用(あよ)の里で山田を耕し守って生活している人がいた。ある時突然やって来た目が一つの鬼に子供がつかまり食べられた。子供の父母は驚いて竹藪の中へ逃げ込んだのだが、竹の葉がさやさやと動いていた。

◆それを見た子供が竹の葉が「アヨク、アヨク」動いている見つかったら大変だと叫んで教えた。その後そこを阿欲(あよ)と言う様になったと言う物語である。

◆当時、新羅からの渡来人は製鉄の技術を持っていて、良質の鉄鉱石を産出する出雲の国は、絶好の住み処であったと思われる。何れの場合も製鉄の様な技術は、古代農耕民族にとっては、魔法であり、神業であった。そこで神として崇めるか鬼として恐れたのである。

◆永年、製鉄を業としてたたらの火の色でばかりを見ていると目を患って片目にもなるのである。大岐(やまた)の大蛇も渡来人の八人の士ではなかったのではないか。そして美女奇稲田姫をめぐる戦に、素戔嗚尊は謀略として酒を呑まして酔いつぶしてから皆殺しにするのである。

◆そして勝者は美女と彼等が持っていた宝物即ち宝剣・草薙剣を手に入れるのである。八岐の大蛇と言う人物は知る由もないが、面白いのはこの草薙の剣がのちに熱田神社の御神体となるのだが、新羅の沙門「道行」と言う人が二度も盗み出している。

◆一度は伊勢まで逃げてくるのだが、神剣は袋を破って熱田へ飛び帰ってしまった。二度目は摂津から筑紫まで逃げながら、摂津の豪族津守一族に追われて捕まって処刑されるのである。

◆新羅の権力闘争に破れ宝剣を守って出雲へ渡ってきた八人。そしてその剣を追ってはるばる渡来して来た新羅の僧道行、一方で大和朝廷から追放されてさまよう素戔嗚尊。一方で道行から取り戻した草薙の剣は、その後18年間難波の住吉神社に在ったという記録があるのだから、歴史は本当に面白い(住之江・田中卓先生寄稿より)。

◆そして天武天皇の御病気平癒を祈願して剣は即日、熱田神宮に返還されたと言うが、それはそれなりの力関係、裏事情が考えられるのである。

平成10年2月5日