時空を超えてー春男の雑記ー68 おしょうらい
◆「寒さの果もおしょうらい」と言う言葉が大阪には昔あった。季節の変わり目の目安を、四天王寺の春の行事である”おしょうらい聖霊会”に合わせていた。現在も四月二十二日に舞楽大法要が六時堂前の石舞台で行われている。
◆この日は寅の一点即ち午前四時に一番鐘が打たれて行事が始まる。寺の本坊から、当日の法要の責任者である会行司が参集する一山の僧侶楽人の家へ御出仕を促がす使者を立てるのである。
◆夫々の自坊、家は四天王寺の周辺にあるのだがここで七度目に中門で出逢うのが型として継承されている。今でも天王寺坊守は辻さんと云う人がしているが、千年も続いた家の人で、玄関、台所の仕切はこの家がやっていて、こういう使番もしたのではないかと思われる。そして法要のお供えのわっぱ物はこの人が造っている。
◆今では法要は、午後一時より本坊前に並列して石舞台を経て六時堂へ向かうのだが、この列の中に長者という役の玉造さん
がいる。それこそ曲玉でも造っていたのではないかと思われる。垂纓の冠で浅黄の袍を着ている。六部の面を付けて歩く人や
白丁と言う雑役を勤める人々、皆夫々祖伝来の人選であるから恐れ入る次第だ。
◆行列は舞台上で長者が祝詞を奏上する事で終り法要にうつる。舞台の四隅には、三間程の丸太の柱が立ち、先に造花で四尺
丸位の曼珠沙華が付いている。そして初夏を象徴する燕をぶら下げた棒が何本かつきさしてある。大概派手な舞台装置ではある。
◆法要は、先ず祭神である聖徳太子のお目覚めの儀式の御手水から始まる。その時演じられる舞の曲目は昔から決っており、之は今も守られている。それから延々とお経と舞が日暮れまで続くのである。昔は夜明けから十二番半、番数にして二十五曲が演じられ、時間にして十二時間以上、之を二十五人位でやるのだから夜半迄かかった様だ、鏡樽を割ってゆっくりとやったのだろう。
そうでもしないと出来るものではない。一番長い曲の太平楽は四十五分位はかかる。だから今でものんびりぐだぐだ時間をかけるのを太平楽を並べると言うのだろう。
◆大体この曲の半ば過ぎに日も落ちてきて夕暮れにり、石舞台の欄干に下げた鉄の籠に火がたかれ、舞台効果満点の佳境に入る
のだ。
◆徒然草を草した兼好法師もなにわに遊び、天王寺の舞楽を見て、”辺土はいづくもかたくなれど天王寺の舞楽は都に恥じず”と誉めている。どうぞ大阪に居られる皆さんも一度見て頂いたらと思います。
(平成11年4月20日)