時空を超えてー春男の雑記ー73 テッペンカケタか

◆空中庵は、徳川家康より京都洛北の鷹ヶ峯に職人集落の土地を与えられ、芸術三昧に生きた、本阿弥光悦の孫である。その空中の水指が、かの益田鈍翁の茶会に出ていた。

◆鈍翁の弟子で無類のそそっかしやの粗忽庵と言う渾名の東芝電気の社長岩原謙三は、空中作信楽水指を「お道具拝見」と言った処まではよかったのだが、なんと蓋を手からすべり落とし粉々に割ってしまった。一瞬、茶会の雰囲気が白けた。勿論、亭主の鈍翁のゴキゲンはみるみる内に悪くなるし皆困ってしまった。処がその席にいた鈍翁の末弟の益田紅艶、この人は早々に実業界より引退して数奇の道に入った人であるが、咄嗟の一句を詠んだ。
「空中にテッペンカケタか時鳥」之には鈍翁も思わず笑ってしまった。

◆時鳥は茶人の好む題材である。かつて織田信長の愛玩した牧谿のははちょうずの三幅は、MOA、五島美術館に所属されている。

◆この粗忽庵こと岩原謙三は、鈍翁の行った、かの有名な三十六歌仙の入札にも参加し、佐竹本三十六歌仙の巻物二巻を切断し、住吉明神を加えて三十七人で分け持つ事に決まり品川、御殿山益田孝邸での入札で岩原は大伴家持が当たった。

◆入札会ではやはり姫が上位、坊主を下位と皆思っていたのであるが、札元の鈍翁に坊主が当たり一悶着する。その時に高橋箒庵が一首詠む。

「切るは憂し、切らねば金がまとまらず、捨つべきものは剪刀なりけり」ご立派。因に箒庵は、三井銀行、三井鉱山、王子製紙専務を歴任するが、これらの人々の教養には唯々驚かされる。

◆岩原は英語が堪能であったが、茶席に外国人を迎えて「何もございませんが是より湯漬けを差し上げます」と言うお茶事の亭主の挨拶を英語で言うのに詰まって了った。無い物を今から御馳走するなんて事は外国では無いからだ。

◆中之島を歩けば、かつての大阪の財界人岩本の建てた中之島公会堂、その向いには、くしくも安宅英一の残した安宅コレクションの東洋美術館がある。

◆倒産と共に何度か分散の危機に会いながら白水会の英知で散逸を免れた。浅川伯教、浅川功、そして柳宗悦を通じて集めた李朝ものが多い。一方、和泉市の久保悠もうまく蒐集品を一括して和泉市に寄贈した。ここには国宝「万声」と言う青磁の花生けが所蔵されている、また頴川美術館にも随分立派なものが集められている。楽焼の祖長次郎赤楽茶碗の代表作、利休好みの「無一物」がある。これは見事なものだ。これらの作品そのものは変わらないが取り巻く環境は次から次へと目まぐるしく変わって行く様だ。私ら縁無き衆生の方が幸せかも・・・。

(平成11年7月5日)