時空を超えてー春男の雑記ー98 鴨が鳴く

◆「落花の雪に踏み迷う堅野の春の桜狩り 紅葉の錦着て帰る 嵐の山の秋の暮」これはかの有名な太平記冒頭の道行文で日野資朝が、捕らえられ鎌倉へ護送される情景である。その何年か前、資朝は、内裏で自分とは同い年であるが既に内大臣となっている西園寺実衝と座り込んで話をしていた。資朝は自分と比べ様のない品の良い実衝の顔を見ていた。

◆そこへ、奈良西大寺中興の祖である静然上人が腰屈まり眉白く、誠に徳たけた有様で参内して来られた。この様子を見た内大臣は、「ああ何とも言えない尊いお方だなあ」と両手を合わすのだが資朝は「なんだあれは唯年を取ってるだけですよ」と言い放つ。そして後日資朝は「内府がそんなに年寄りが好きなら家にむく犬の年を取ったのがいますよ」と連れてくるのである。

◆この二人の年は二十五歳。後醍醐天皇に組し陰謀を企てた激しい性格の資朝と、大人しい実衝との老いに対する考え方の相違は、現在でも我々の周りにいくらでもあり、珍しい事では無い。三、四年後に実衝は病死し、資朝は佐渡に流され、そこ処刑され二人とも死んでいる。俗に瓦となって全うするより、玉となって砕けよと言っても今はあまり流行らない様に思う。

◆以上は兼好法師の徒然草より拝借したのだが、若い頃には碌に読まれなかった処に心打たれる文があり、そこに兼好の無常感が見られる。“秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かされぬる”この歌をうけて、四季の移り変わりは、春は夏を含みつついつのまにか夏になり、夏はこの歌の様に気付いた時は秋のよそおいが忍び込んでいる。木の葉の落ちるのも枯れるから落ちるのではなく、若い芽におされて葉は枯れて落ちるのだ。人が生老病死するにもみな之と一緒で、決まった事など何もないのだ。

◆死は前より来らず、かねて後に迫れり、人は何時かは死ぬと言う事は皆知っている。それが或る日突然自分に襲い掛かってくる。丁度、干潟か沖遥かだと思っているのに潮は磯から来るのでないかと思う位早く迫って来る。「かねてよりくるべきものと知りながら昨日今日とは思はざりしを」と在原の業平は嘆いている。また芭蕉も「この秋は何で年よる雲に鳥」と亡くなる半月程前に詠んでいる。一茶も「業平も死ぬ前近し渋団扇」と詠み、かの一世を風靡した色男も、五十五歳の死期も迫った頃はさぞ渋団扇の様に汚くなった事だろうと言っているのだが、時代が下がり昭和の御代ともなれば「老残のこと伝わらず業平記」となってくる。案外に現代人は綺麗事でいきたい様だ。

◆「吾と来て遊べや親のない雀」なんて人間的に思える一茶にもえげつない句がある。「春雨や喰われ残りの鴨がなく」、、、、去年の秋やって来た鴨は春ともなれば、もうすぐ飛び立つのだ。寒い冬の間に鴨鍋にならなかった一羽が飛び立っていくと言うのである、、、、。

(平成12年8月5日)