時空を超えて−春男の雑記−81 伊勢戸佐一郎君を悼む

◆大分前の事であるがNHK朝ドラを見ていると、アレアレ、伊勢戸佐一郎考証とテロップが出てきた。これはこれはと早速電話を入れた。「なに?あれ」「まあな、いろいろあって・・・」と言う様な余り要領を得ない返事だったが、そのドラマは大阪物で、彼の得意中の得意分野であったのだろう。

◆暫くして生駒行きの地下鉄の中でばったり会った。「どこへ行くの」「学校へ」「何しに」「今これや」と差し出した名刺を見たら東大阪女子短期大学教授と書いてある。「えらいねんなぁ」「まあそらともかくNHKで同じ仕事をしてても肩書でギャラが全然違うねん。助かるで」との事であった。

◆大体この人は昔から金儲けの下手な人であった。職商売と言って加工販売を一手にやれば、食いはぐれが無いと決まっていたのだが、それがこの人に限り駄目であった。食いはぐれるのである。なんの関係もない私迄が義父の平見の親父さんに暮れも迫ったある日、一寸来てくれと呼び出され「一ぺんこの帳面見たっとくなはれ。銘木屋て商売しながら損しまんのか」と言われた。今では皆商売しながら損しているから別に珍しい事ではないが、その頃ではびっくりした。

◆驚きついでにもう一つ。去年か一昨年の事で朝刊を見ていたら大阪市教育委員長に伊勢戸佐一郎氏と出ているではないか。之は本当にびっくりした。之は本当にえらいのである。電話をしたら「まあなあ」とのことであった。

◆十月の初め頃電話がかかってきた。「病院から身辺整理に家へ帰ってるんやけど、長瀬の森さんのお邸を大阪市の月報広報誌に載せたいんやけど頼めんやろうか」と言ってきた。「あれは森平さん処やから頼んでみたげるわ」と言って森平さんの藤原会長の所からご了承をもらっていたのだが、これは残念ながら仕事にならなかった。私とはプツッとそれで切れてしまった。

◆なんや知らんけど大阪市の教育委員長までなり、何や知らんけど煙草も吸わんのに肺がんであと半年位と医者に言われたと友達の私に告げた。そして十月十九日に訃報を受けた。色々と思い合わすと人間なんて予期しない事に翻弄されている様な気がしてならない。

◆終りに彼が初めの頃に収録した鳶歌を記載する

材木浜 筏仲仕唄 なかせ なかせ

中仙道なら 美濃の国よ美濃と尾張の国ざかいよぉ 酒井雅楽さん姫路を取られ そこで姫路が繁昌となるよう 般女が寝屋のねやのかくしの知らせ文よ 文はやりたし書く手は持たず やろうか白紙文と読め 夜目遠目傘の内 内の子飼の丁稚の久松 久松賽文 賽の河原の瓦の御寄進 心ざしよ 心ざしや木の葉や菜の葉 菜の葉に蝶が止まろとすれば風が強くて止まれないよう 合掌

(平成11年11月5日)