時空を超えてー春男の雑記ー 79 説教節

◆明治の洋画家黒田清輝の作品に「むかし語り」という大作がある。宿場の辻で旅の僧が、笛を吹く格好をして、物語りをしている。昼はひまな宿場の芸妓や仲居が五六人しゃがんだりしながら聞いている。一方北国では瞽女(ごせ)達何人かが一人の晴眼者に引かれて、門付に村の一軒一軒廻ったり、或いは村の集会所でもあるお堂で、夜な夜な語ったのである。こうした人達に依って、吾が国の語り物の伝承美術は形造られていく。これらは後に浄瑠璃に、歌舞伎へと変わっていくのだが、ここでは五つからなる説教節が、三味線の音にのって語られるのだ。

◆最近出版された水上勉の「説教節を読む」に及んでふーんと唸った。要は余りにも知っているつもりが知らなかったと言う事で、手遅れもよい処である。「山椒太夫」「苅萱」「信徳丸」「信太妻」「をぐり」の五説教であるが、ここでは「をぐり」について紹介してみたい。

◆公卿殿上人の中で、二条の大納言と言われた兼家は鞍馬の毘沙門天に祈って、一子有若と言う申し子を授かった。七歳の時に比叡山にのぼらせて勉学させるのだが十八の時には北嶺一の学匠となったので呼び戻し、常陸小栗殿と呼ばせたが、良く出来るだけに父母と折合悪く母の里の常陸へと追いやられる。ここで当地の氏の長者横山殿の娘照手の姫とわりない仲となるのだが、父親や兄三人に許しも得ずに入婿となった小栗を嫌った父親等は彼を討つ謀議をする。

◆そして家来十人と屋形へ酒宴に招かれた小栗は家来共々毒殺されてしまうのだ。親子は都の沙汰を恐れて吾が子の照手も殺そうとするのだが、そこは兄弟、照手を船に乗せて沖へ流してしまう。

◆あの世へと行った小栗判官は、早々に家来十人と閻魔大王の前に引き出される。大王の宣告は、「これがあの名高い小栗と言う悪人か。こんなのは阿修羅道へと落してしまえ」と大変厳しいものであったが、家来十人が吾が身に替えて小栗を助けてくれと哀願する。閻魔大王も小栗を助け、書状一通添えて娑婆に戻すのである。大王の判のある書状には「藤沢の明堂聖の一の弟子に渡し申す。熊野湯の峯にお入れあって給れ」と書かれてあり、この世に戻って餓鬼阿弥陀仏と名づけられ、車に乗せられ、途中照手と出合い熊野まで行くのだ。

◆思い合せば平成の御世も栄華をほこった筈の平安時代でも、庶民は皆地獄の中で生活し、死ねばまた無限地獄へと落ちて行った。面白い事に話の中ではこの世とあの世を抵抗なく住き来出来た様で、小栗の場合でも閻魔大王が「にんは杖」でハッシと虚空を打てば、飛び散った小栗の墓の中から小栗はこの世にと出てくるのだ。これ位荒唐無稽でスーパーマンのように地獄からでも生き返ってくる位のものでないと人々の共感を呼ばなかった。

◆そして「にんは杖」一本であの世とこの世を自由に行き来させる閻魔さんも大切な役割を持っていたのである。そして現世の地獄からどうしても抜け出る事の出来ない庶民は、超現実的な小栗や閻魔大王に拍手を送ったのである。

(平成11年10月5日)