時空を超えてー春男の雑記ー100 ものづくりの話(上)

◆昔、横堀の大政名木の倉庫に、床材加工の職人の佐治やんの仕事場があった。ある時、入って行くとケヤキの玉杢の書院を削っていた。「あんなア、玉杢を一ヶ埋木してるんやが探してみ」ときた。ところがそれが分からないのだ。「分からんか、ホラここや」と教えてくれたところに成る程見事に埋木がしてあった。ほんとに分からなかった。

◆戦時中、ある軍需会社にいたことがある。その職場には三菱の熟練工が来ていた。てっとり早く言うと、私達は月給が百円だったが、その人は大体月に千八百円は持って帰るのだ。そこは製品の正確な精度が要求される航空機の発動機を造るのだから、先ず精度の上がってない様なものはオシャカなのだ。そして彼の仕事振りは目を見張るようなスピードで話にならない位早かった。今なら月四、五百万は取れるほどの素晴らしさだった。之等は六十年も前のものつくり職人さんの話である。

◆それが今や「日本のもの造りはどこへ」と問われている。戦後は日本製品と言えば「安かろう、悪かろう」であった。それがいつの間にか高品質高性能と言う評価を取ったのだ、その間に日本人はものづくりと言う得意技を見付けたのだ。それが現在の繁栄の基礎となっているのだが、今はこのものづくりの能力の低下が論じられている。これは深刻な問題である。低賃金の国に生産の拠点を移して行く内に、ものづくりの能力が失われて行ったのである。

◆我々の商売関係でも、在来工法の大工さんの技術の低下が挙げられる。プレカットで木組のホゾ穴を開けてしまい超プレナのカンナ仕上げをし、後は組み立てる丈である。銘木を使って和室床の間を造る。或いはしき台上り框で玄関廻りをして、はめ込みの下駄箱を取り付けるなんて事は嫌がられるのである。

◆私の家の隣に最近ローソンが出来た。ここは二十四時間営業で、おかずの出来合いも売っている。二つ三つ買って帰って電子レンジでチーンとやれば夕食は上りである。なんの手間ひまは掛からない。夫婦二人で、暑いのにおかずを炊いてふうふう言ってるより随分簡単だし、残り物も出来ないから、翌日温めて食べる事もなく、また味もプロの仕上げである。となれば、良い事ずくめで、しかも金銭的にも余り変わらないとくるとそうかなと思ってしまうが、しかしこの積み重ねが主婦から、ものづくりの技術を奪って行くのである。

◆この間、時計のセイコーが手造りの時計の広告を出していた。この時計一個造るのに要する手間で、現在市販されている時計が二万とか三万個出来ると言う。然し、技術とマイスター熟練工を温存して技術の継承をしていかねばセイコーの明日は無いと言う事だ。だが一方ではICをふんだんに組み込んだロボットが人の言葉に反応する、二本足で、水を入れた容器を持って歩く、旋盤の仕事をする・・・。本当に何がどうなって行くのだろう。古来の技術の温存と新しい技術開発、混ざり合って進んで行くのだろうか。

(平成12年9月5日)