時空を超えてー春男の雑記ー108 悲観主義との決別
◆ふと気がつくと、お正月と言うのにどこのビルも余りしめ飾りを付けていないのだ。最近では車にも付けない様だ。以前には自転車でもそれなりの小さいのを付けていた。戦前であれば殆どの店では正月と言えば表に幕を張り、しめ飾りを付け、入り口の両脇には門松とこの三つは正月には欠かせないものであったけれど、今は最後に残ったしめ飾りが無くなろうとしている。暮れの30日までは近くのスーパーの前で小さい台に載せて売っていたが31日にはもう出ていなかった。
◆近頃、土曜日曜の午後になると若者達がぞろぞろとアメリカ村から南堀江の立花通りへ、或いは長堀通りを横断してかつての木材の街であった横堀へやってくるようになった。この新しいスタイルのスポットは若者達が食事やショッピングをしたり、またアベック達には二人の共通の話題を提供する街へと変化して来ている。私の住む北堀江もその範疇に入ってきている。立ち止まる者、淩巡する者には容赦なくその流れは押し寄せてくる。
◆最近は社名に何とか紡績、何とかレーヨンを冠した企業が、その原点とも言うべき主商品の製造廃止を宣言したり、或いは社名を変更すると言うえらい時代で、それらに比べると私共の石頭は徳川時代の武士の域を脱しない様だ。
◆元旦から日本経済新聞の社説で「新世紀最初の十年」と言う連載をしている。悲観主義からの決別を先ず説いている。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著作まで出て「経済」「産業」の多くの分野で欧米先進諸国を引き離し一人勝ちしたかつての日本、またアジアの多くの発展途上国に夢と希望、そして進むべき道を示していた日本の背中が、ある日突然見えなくなったと言う事である。それまで調子の良かった日本経済は、バブルの崩壊による土地・株の暴落に対して何もしようとせずに先送りしてきたつけがここにきて一時に吹き出したようなものだ。然しここで立ち止まっていても何も出てこない。IT分野で欧米に立ち遅れていた日本はここで完全に抜き返したのである。「ドッグイヤー」から「マウスイヤー」に変わって来たと言われる位変化の早い分野の闘いの中で産業の裾野を広げながら発展、復興していくだろうと論じている。
◆また今一つは、余りにも早くやって来た高齢者社会にとどまっているが何れ欧米諸国も高齢者社会になるのは間違いのない事で、日本が一日も早くこの対応策を確立した時、後から高齢者社会になってくる国に対する経済的な優位は大きいと思われる。
◆最近特に進化して来たのは「ロボット」である。先日のロボットショーでソニーや本田技研の二足歩行の人間型ロボットが脚光を浴びた。これから製造業用はじめ医療に、家事に、介護に愛玩用までロボットの世界は無限である。
◆次に「ハイブリッド」。二十一世紀の電池自動車の本命に日本の「トヨタ」「ホンダ」は世界の業界を押さえ圧倒的に優位に立っている。
こんなにいろんな優位点があるのに早く悲観主義から決別をしなさいと世界の人は言っている。然し我々の現実は中々大変な事も事実である。
(平成13年1月20日)