時空を超えてー春男の雑記ー109 饅頭屋とうなぎ屋
◆私は名うての甘党である。羊羹を食べさせれば之は虎屋のおもかげですな、之は駿河屋のながほりですか、ああ之は井村屋さんねとたちどころに言い当てる。然し、余りいただけないのは、最近滋賀県で猛烈に売り出している店の饅頭である。機械のチューブからニューと出てきたアンコをパックした様な饅頭は苦手である。饅頭なんてものは、職人さんが手の平に延ばした皮の中にアンコを包み込み、へらでぴっぴっとはねると兎になり桃になり、柿になるのが饅頭で、機械のチューブからニューと出てきたアンコを油紙で包んだ様なのは饅頭ではないのだ。
◆松下電器産業の中村邦夫社長は「老舗が強いのは和菓子屋とうなぎ屋だ。鰻の焼き方やタレは真似できない。だから日本の製造業も夫々が独自の技術を持てば良い。日本は製造立国で、銀行立国、スーパーマン立国、証券立国、ネット立国ではない。日本にしか出来ないもの造りを残さない限り日本は駄目になる」と言っている。
◆もの造りは、日本の土俵である。金融派生商品とかなんとかで競争するとなると、人の良い日本人がユダヤ人に勝てる筈はないのだ。シャープの町田勝彦社長も年頭の会見で「徹底して国内のもの造りにこだわり、雇用を拡大したい」と宣言していた。もの造りなんてのはすぐには結果は出ないのだが、あえてこの道を選ぶこの人の姿勢は、四半期(三ヶ月)の業績をあれこれうるさく言う市場とは距離を置く選択だ。
◆思い返せば、米国の市場主義経済と、IT(情報技術)化に依る繁栄の方程式は、既に行き詰まりつつある。わが国における終身雇用や、メインバンク制が行き詰まった様に、永遠に正しい政策等はあり得ない。もの余り使い捨ての時代、そして溢れるマネーの時代だった20世紀、日本経済は両方を極めた末、「失われた十年」に今や立ちすくんでいるのだが、米国の市場主義が行き詰まり、日本より十年遅れて今、マネー経済から転落しようとしている姿を見て、
むしろ新しい時代の始まりを予感している。
◆「おばあちゃんの原宿」東京巣鴨信金は「出前バンキング」に精を出している。無人化やネットバンキングで効率と省力化を追う大銀行への対抗手段だ。「住宅ローンについて聞きたい」と連絡があれば、職員は休日でも出向く。窓口で年金を受け取るのが億劫なお年寄りにはお金を届け、世間話にも付き合う。住宅ローンを完済した人にはお祝いに花束を届ける、ここの田村理事長はあくまで泥臭い。大手が効率を追求するなら、非効率が武器になり特色になる。中小企業の経営は大変だと言うが、同じ土俵で考えるから途方に暮れるのだと明解だ。目先の非効率は長い目で見ればゆるぎない固定客の確保につながるとの読みがある。立派なものである。
◆TVの刑事ものを見ていたら、ベテラン刑事は捜査に行き詰まったら犯行現場へ戻れと言っていた。我々も商売に行き詰ったら、原点に戻るべきだろう。〔毎日新聞一月十八日記者の目より〕
(平成13年2月5日)