時空を超えてー春男の雑記ー128 進者往生極楽

◆“曇りガラスを手でふいて“なんて唄が一世を風靡した時があった。次の歌詞が「あなた明日が見えますか」。この歌手は何年か先の現代を先読みしたのであろうか。読めない証拠に、先読みが一番得意である筈のコンピューター関係が大損の赤字を出しているのだから嫌になる。コンピューターをいくら叩いて計算してもこんな事だから他は押して知るべしである。

◆最近、問題の狂牛病で偉い目に合ったのは、マクドナルドと吉野家の牛丼である。半値にするのは売れ行きがパッタリと止まるでは又何をか言わんやである。先日も年寄りばかりの酒席で、狂牛病の潜伏期間は六、七年との事、それなら我々は八十や、牛でボケたんか、本当にボケたんか分からんなと大笑いした。

◆不良債権で首の廻らないゼネコンが額面以下の株価で株式欄に名を出しているのは困りものだが今一つ我々零細企業でどこまで行ったら良いのかふんぎりが付かないのも困ったものである。唯一はっきり言えるのは、博打は借金してまでは絶対にやってはいかんと言う事で、あきらめと見切れが肝心な様である。

◆世の中ここまで落ちてくると、救世主は昔の経済学者である上杉鷹山や二宮尊徳なんて人になるが、こんな人を引っぱって来ても、始末せよ、夜も寝ないで働けと言うのが関の山で、面白くも何ともない。そこで昔の人の世直し、景気直しにお伊勢参りが出てくるのだ。頼めるのは神様しか無いと本気で信じたのだから中途半端にいろんな事を知っていて神様を信じられない人は不幸である。世直し、景気の立て直しを出来るのは神様、別して伊勢神宮しか無いのだ。次に神宮の霊験のあらたかさ、おかげ参り、ぬけ参りの奇跡が書かれているのを抜粋するので、驚かないで読んで欲しい。

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◆主人に暇を請わず、許しも得ずにぬけ参りをして帰って来た男を、怒った主人は忽ちに切り殺して筵に包み、直ちに使用人に遠くへ捨てさせた。ところが明けの早朝に、死んだ筈のその男が歩いているのを使用人が見付けた。今一度その死骸を見に行くと、筵の中には死骸が無く、血も流れていない。そして唯一つお札の箱が置かれていた。そこには筋交いに刀疵があった。主人も使用人も改めて抜け参りのききめを思い知るのだった。

◆こう言う話は語り継がれて、伊勢参りが奇跡を生むという噂が忽ちに広がっていくのだ。不景気のどうにもならない中で、封建時代の最下層の働き人である丁稚子供の辺りから起こって全国を席巻する一大イベントとなるのだ。暴動の記憶は全然ないのだが、この時報謝として巨大な金が動いている。例えば京都の大町人、室町の三井家では銭千貫米五百石捧げている。祈りは遊びでは無い。江戸では強風のなか大火があり、京都では大地震が起きた。神に頼る他に何も無い貧しい人達の祈りであった。我々にも祈りしかないのだろうか。激しい空爆下で祈っている国もある。

(平成13年11月20日)