時空を超えてー春男の雑記ー61 正月

◆大正十五年歳次丙寅、永井荷風の”断腸亭日乗”より昔の正月を読んでみた。その梗概は・・・。
『正月元旦。昼食の後、タクシーで雑司ヶ谷墓地へ父親の墓参りに行った。墓前の蠟梅は去年より多く花をつけている。帰りに池袋の駅の方へ廻った。商店街は市中に比べて負けない位繁盛していた。王子電車も路線延長で鬼子母神の祠後まで行っていると云う。電車で渋谷に出て家に帰った。未だ日も暮れていなかったが、この日は天気快晴で、一日風はなく本当に春の様であった。崖下の静かな横町では追羽根の音が日が暮れたあとまでも聞こえていた。街灯の光が明るいので裏町の女の子は夜に日についで羽根をつくのだろう。軒の灯火の暗かった昔の正月に比べて世の様の変り様はこの一事でも知ることが出来る』

◆私達男の子の正月は矢張り凧上げに一日を費したものだ。日が沈みかけると風が凪いでくるので、だんだん凧が落ちてくる。凧を電線に引っかけると元も子もなくなるので、凪いでくると大あわてにおろしたものだ。

◆昭和12年の元旦の稿では『大森王子より三ノ輪停留所に着いた。高島田に結った娘さんが多く近年の流行の様だ。亀戸行きのバスに乗り継いで地下鉄で新橋に出て、芝口の金兵衛で晩飯を食べた。女将は毎年の如くお祝儀の屠蘇を注いでくれた。』

◆当時世の中は不景気ではあったが、何とも言えない平和な市井の人の正月が描き出されている。そして正月が過ぎて一月十日は、二十歳になった荘丁の入営の日である。

◆徳富蘆花の「みみずのたわごと」の中でも、辰爺さん宅の岩公が麻布連隊に入営する。『午後、万歳の声をきいてあわてて八幡に行ってみる。楽隊を先頭に行列が出かける処だ。岩公は黒紋付、袴、靴、茶の中折帽という装で神酒のせいか桜色になっている。岩公の親父は性格は小さい人の好い爺さんだが昔は可成り遊んだ男で、子供の岩公までどこかイナセなところがある。列に入って高井戸まで送る。祝入営の幟が五本行く。入営者の介で「兵隊に出すのが嫌だなんか言うこたぁ出来ねぇだ。何でも大きくなる時節、天子様も国を大きくなさるだから」誰が教えたのかしら』

◆原爺さんの嘆くのは当時国民一般の思いであった。この文章の書かれた前年四十三年には、日露戦争に勝った日本はかの悪名高い日韓併合を行い、南満州の方へ触手を延しているのだ。こう言う動きは田舎で世の中からかけはなれて過ごしている辰爺さんでも、肌で感じていたのだ。今も同じだ。政府がなんと言おうとも。

(平成11年1月5日)