時空を超えてー春男の雑記ー62 役者はどっちが上
◆随分以前に洋画の”知りすぎていた男”で主演のドリスデーがシャンソンの”ケセラケサ”を歌っていた。「ケセラセラなる様になるわ あとの事など分からない 分からない」・・・これは一世を風靡した。世界中が当時はケセラセラがピッタリの時代であった。それが何十年も経った現在、またケセラセラになってきたにだから驚きだ。
◆暮の29日の朝日新聞に「二転三転昨日は昨日 今日は今日」と言う見出しでマニラからフィリピン航空の事を報じていた。労働争議のもつれから自主廃業を決めたフィリピン航空が、約二週間で営業を再開したのに皆首をかしげていると言う。正直言って再開の報にまさかと思ったが、今は会社側も組合側もケロッとしている。何時なんどき又店をたたむと言っても今度は驚かないと言っている。
◆フィリッピンでは、昨日は昨日、今日は今日、これが吾々の生き方なのだから問題はないとコラムを書いた記者の友人は笑ったと書いている。そうなのだ。これはフィリッピンの生き方なのである。
◆ここに「イングランド銀行を破綻させた男」と言われているアメリカ人のソロスがいる。97年にタイはソロスの売りあびせ
に依る通貨防衛の為に外貨準備金を使い果たし、経済破綻に追い込まれた。続いてマレーシアなども標的になりアジアの通貨
危機は連鎖的に広がったのであるが、このソロスが言うには「金融市場はそもそも不安定なシステムなのだ。人は自由な競争
に任せれば均衡すると言う誤った考えに立っている。金融市場は破局を迎える恐れがある。」また「市場経済の行き過ぎにとて
も悲観的になっている。金は目的を達する手段に過ぎないのに、それ自身が目的になってしまった。社会にはマーケットに表現
されない様々な価値があるのだ」
◆簡単に言えば金々と金丈を追いかける現代は未世だと言っているのである。「私の社会への関心は市場での私の行動とは無関係だ。その間に矛盾はない」と言い切っているのである。これは随分勝手な言い分である。ここらの処は一寸解りにくいが、この場合の社会に対する彼の関心とは膨大な社会に対する寄付金を言っているのかも・・・。
◆彼も常勝軍ではない。報ずる処に依ると、近くではインドネシアやロシアで手痛い目に逢っている。そして雑誌のインタービューに「泣き言を言っても仕方がない。先ず生き残る事だ、それが私の信条だ」、そして「金融市場は一国の経済でもぶち壊している。資本主義システムは崩壊しかけているのだ」と言っているのだが、こうなると航空会社が倒産しても、又明日からやりますと言うフィリッピンの方が上なのか。
(昭和11年1月20日)