時空を超えてー春男の雑記ー65 徒然草(三)金も要らなきゃ名誉も要らぬ
◆どうも何もかもうまく行かないので、兼好は一人吉田山の吾が家への途をとぼとぼ帰ってくる。従六位蔵人では昇殿も出来ない、せめて正五位にと人を介して、種々画策をこうじたが、よもやと思っていた身内に足を引っ張られて失敗したのだ。彼の家は後には神職の取締で、吾が国の国学の元締である吉田家なのだが、どうにもならないのだ。出生街道から見放された自分に業を煮やした兼好は開き直って毒づくのである。
◆「世間的な地位や名誉そして又、利益に追われて自分の為の時間もなく、金を使う間もないなんてあほらしい話だ。財産が多いと何時も油断なく気を附けていないと、突如何が起こるか分かったものでない。
死んだ後に山程の財産を残しても、子や孫の為にはならない。喧嘩をするか、身の程知らずの贅沢をして大きい車に乗り、肥えた大きい馬を飼い、金銀で身を飾り立てるのが関の山で、心ある人から見れば馬鹿げたものだ。そんな財産なんてものは山でも海へでもさっさと捨て身軽になった方が、何も考えなくて良いから気が楽だ。
◆それに引き換え不滅の名を世に残すのは一番良いのではないか。然し之も馬鹿でもチョンでも、名家に生れ又時流に乗った時は、びっくりする程出世して栄燿栄華を極める事がある。あほらしい話だ。
◆だけど私は、程々の処で気楽に人生を楽しんでいる人に賢い人がいる様な気がする。本当に賢い人は、そんな見栄や外観にとらわれる事なく、マイペースの人生を送る様だ・・・。」
◆と言う様に兼好さんは金が仇と経済観念の発達した人を口汚く罵っている。彼は大僧正なんぞに出世した兄貴に比べると随分出来が悪かった様で、安い月給で連歌等で憂さを晴らして暮らしていたが、四十になる迄に佛門に入ってしまう。人に騙され足蹴にされ、つくづく嫌になった様だ。そして人生訓を述べている。
◆世の中では決して人をあてにしてはならない。あほな人は人を頼りに物事をするからえらい目に合わされるのだ。頼りにならないのを並べて見ると、時勢に合うて勢いのある人も頼りにならない。強い人は言うている間に沈んでしまう。金持も一手違えば見てる間になくしてしまう。賢い人もあてにならない。孔子さんでもあかん時はあかんし、有徳の人顔回も不幸だった。主人の寵愛もまかり間違えばざん言にあって殺される。家来も当にならない。ここ一番の時に逃げてしまう。人の約束もあてにならない。
◆頼りにならぬ事は夥しい。要は自分しか頼れないと言い切っている。そうだ、子供でも頼りにならない。六百年経った平成の人達は、食う物も食わずに養老院に入る金をせっせと貯めています。
(平成11年3月5日)