時空を超えてー春男の雑記ー76  舞台の上で

◆大正三年創立の宝塚歌劇団は八十五周年を迎えてラジオの深夜番組で特集を組んでいた。どんな名器で演奏しても人間の歌声に及ばないと言うので、劇団歌の「すみれの花咲く頃」より順次その時々のトップスターの歌う若々しい歌声に私は聞き惚れていた。

◆昭和15年の歌として、越路吹雪の「筏流し」が流れてきた。これには驚いた。素晴らしいのである。声量と言い、歌い込んだ歌唱力と言い、とても二十歳前後の劇団員の歌では無いのである。成程、退団後はシャンソン歌手として一本立でリサイタルが出来た筈である。

◆何かで読んだエピソードとして越路はいざ出番となると、舞台に出るのを嫌がったそうで、マネージャーがなだめすかして後から押し出す様にして舞台に立たしたそうだ。新町の厚生年金会館へ聞きに行った事もあるが、そんな事は夢にも思えず堂々たる舞台に聞き惚れたものである。

◆以前、あのベテランのヴァイオリニストの江藤俊哉も「舞台の上で」と言うテレビ番組で、舞台のある日はお腹の具合は悪くなるし、食欲は無くなるしと話していた。然しこの恐さ、緊張感のある内は上達するので、これが無くなるとおしまいと言う事だ。

◆岩崎宏之はドレミファ文化論の中で「われわれ指揮者は情けない程過酷な労働を強いられている」としながらも、疲れ切った様な老指揮者の名演奏ぶりに就いて面白い事を書いている。

◆『ドイツ人のカール・シューリヒトは晩年耳が殆ど聞こえず、下半身はマヒ状態で失礼だがヨボヨボだった。指揮台まで一人で行けないので僕が連れて行った。処がいざ始まって、あれ?金管楽器が一寸強すぎるかなと思った時に彼の左手はサインを送ってボリュウムを抑えるのである。これで立派にバランスはとれた。耳は聞こえなくても奏者の顔を見ただけで、どこがどう鳴っているのかを見破ってしまうのであろうか。

◆次にオットー・クレンペラーも何年も中風を患っていて身体の半分が動かない。彼のベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を聞いた。歩けないので担がれて指揮台に上がるそれがクライマックスに至るや驚く勿れスックと凛々しく立上り、力一杯タクトを振る。そして、そこが過ぎると又ヘナヘナと椅子に崩れ落ちてしまうのだ。

◆中風の半身が何故動くのか、これは医者にも説明が付かないと言う。精神力、気迫、火事場の馬鹿力等、何れにせよ、指揮にはピアノ、ヴァイオリン等の演奏と比較してどこか曖昧模糊としたところ、悪く言えばインチキな要素が隠れているのではないか』と言っている。

◆この越路や江藤の一ステージに勝負を賭けていく姿勢と、老いて病んだ指揮者の執念の様な舞台に対するこだわりも、どちらもどちら、また素晴らしいものである。

(平成11年8月20日)