時空を超えてー春男の雑記ー85 正月は神さん詣で
◆馬齢を重ねること七十有五年、つくづく嫌になる。自分の責任でもないのに年だけとっていく。どうせぇと言うんだと暮れからごろごろ寝ころんでいたら、神さん参りでもしてきたらと言われて腰を上げた。我々の日常生活の上で、お宮さんなんて言うて申し訳ないが、殆ど関係ないのだが、正月二日暖かい良い天気なので、先ず手近なケガ、事故に霊験あらたかな立売堀のサムハラ神社へ出かけた。戦争中、出征兵士は必ず敵の弾丸に当らない様にとこのお宮さんに参ったものである。
◆一体サムハラとは何の事だろうか。恐らくワープロでチョンチョンやってもこの字は出てこないのではないか。先ずサは手へんに合辛。次にムは手へんに台だが、台のムはチョンが無い。次のハはサと同じで最期のラは手へんに包口と書く。サムハラなんて日本語で思い付かない。神主さんになんの意味ですかと聞いてみたら、「分かりませんなぁ。何しろ古い事で・・・」と言う返事が返ってきた。
◆大体私は石切さんが好きなんである。参道が好きなのかも知れない。近鉄石切駅を降りると道なりにだらだらと石切神社の方へ下っていく。ものぐさな私は、えっそえっそと登って行くのは絶対嫌いである。だから帰りは坂道を登らなくても良い様に、地下鉄の石切の方へ行く。
◆参道で初めに目に付くのは占いだ、戸の締った占いの店はのぞく訳にはいかないが、道端で簡単な机と椅子を出してやって
いるのは一寸立見をする。見て貰っているのは大抵熟年のおばちゃんである「あんた兄弟仲は悪いんでしょう」と決めつけて
いる。次の処では「お宅の台所、北向きと違いまっか」とやっている。とたんに家の台所はどっち向いていたかなぁと考える。
◆この参道は約三米あるなしの道巾である。暮にラジオで京都のかの有名は錦市場からの放送をしていたが、ここも三米と言う事である。江戸時代、京都所司代から、町内各所の道を拡げる様にお達しがあったのだが、錦はここだけはこの道巾で営業させて欲しいと頑張ったと言う話である。
◆石切さんへお参りする人は四季折々の衣装もここで整える様である。平均衣料品店は大きく、「ああここやったら何でもある
わ。あれええ柄や、あんたあれにしとき」と客同士が奨め合ってるのだから店員は楽だ。関東煮の匂いをかぎ乍ら、30分程だらだらと坂を下った処に神社がある。
◆大阪の人には、石切さんと言えばでんぼの神様で知れ渡っているが、蛸の吸出しを張っていた時代から抗生物質へと移り変わっても、神前のお百度石を何人かの人が、終始無言で廻っていた。最先端の医療技術も結構だが、吾々弱い人間は神様こそ本当に守ってくれるのではないかと言う気がしている。
(平成12年1月20日)