時空を超えてー春男の雑記ー91 高野聖
◆若い高野聖の僧の私は、一夜の宿を借りた山奥の弧家を、若い女主人に見送られて朝早く旅立ったのであるが、昨日一日の何か不可解な出来事と、美しい女主人の情のある熱心な引止めの言葉を思い出すと、足が前に進まなかった。正午近くに、人里近い滝の処で、昨夜宿の主人に言われて、諏訪の朝市に馬を売りに行った爺さんと出会った。
◆爺さんは何もかも見透かしていたのだ。そして言った。「若い修行の僧が何をもたもとしているのだ。さっさと行かぬか、今頃は里に着いてお地蔵さんでも拝んでおらにゃいかん時間だ。
私には大体わかっている。大方あの女の色香に惑わされて、戻って所帯を持とうか位の事を考えているのだろうが、それは大間違いだ。今まで命があったのが不思議な位だ。昨日女と谷川へ体を洗いに行く途中、女にまとわり付く蟇蛙、蝙蝠(こうもり)、猿を見たであろう。
夜中に羊や牛が来ただろう。あれは皆女にあの谷川迄つれて行かれ、あの霊水をかけられて動物に変えられた人間なんだ。この山中の孤家に迷い込んで、出会った女の色香に惑わされた人間は、あの谷川で皆動物にされるのだ。女は特に若い男が好きなんだ。大体あの谷川から貴男が人間のまま戻って来たので私は驚いた。よしんばここで引き返して一緒になっても、初めの内は良いが、やがて女が飽きてくると息を吹きかけられる。すると長い尻尾が出てきて、耳がピクピクと動き、次には手や足が長くなるのだ。
◆十三年前、この部落はあの娘と白痴の子とを残して洪水で死に絶えたのだが、神が娘を哀れと思い妖術を授けた。故にこの谷の水を男は誘う怪しの水で、生命を取られぬものは無いのだ。
天狗道にも三熱の苦悩ありと言うて、あの美しい娘も矢張りやつれていくのだが、この谷川の水に半日も浸かると体は以前より若々しく美しくなる。生命の水として神より与えられているのだ。
あの女を幸せにしようとか何とか考えない方が良い。さっさと里へ出て坊さんの修行をした方が良い」
と言い捨てて爺さんは山へ帰って行った。
◆以上は泉鏡花が明治三十三年に書いた「高野聖」の大略である。この頃は今と同じ様に世情の混沌とした時代である。妖怪小説と言うだけでは割り切れないものがある。迷い込んだ山中で、男は絶世の美女に出会い、次々取り殺されたり、動物に変えられたり、教訓じみていて一寸不気味な感じもするが、女を金を置き換えて考えて見たら、自分だけうまい金儲けを見付けるのだけど、皆往々にして嵌められてしまうのに似ている様だ。ずるずる蟻地獄に落ちていく人もあり、夢の様な大金を儲け、その金の中に身を滅ぼしていくと言うか、浮かれていく内に気が付いたら元の木阿弥と言う人も多い。
◆今、金なんか余り無い方が良いと言う人が時々居る。何にでも余りのぼせない方が良い様だ。別嬪さんと金儲けには出会わない方が良いかも知れない。