時空を超えてー木々高太郎の雑記ー⑦やなぎだる
◆母の名は 親仁の 腕に萎びて居
小さな庭の鉢植の菊の蕾が大分大きくなってきた むつかしい顔をした親仁(おやじ)は、時々ポンポンと煙管で莨盆の縁を叩いている。母親は、毎度の如く伜にガミガミ小言を云っている。大体お前の友達が悪いんだよとか・・・伜は知らんふりして親仁の方を見ると、まくし上げた親仁の二の腕には、「まさ命」と母親の名前が彫ってある。親仁も年、無残にも弛んだ皮膚に、母親の名前がへっぱりついている。
◆これぞ言い得て妙、五七五の中に若かりし両親がお互いに情熱を燃やしたであろう頃より、少なくとも四五十年の歳月が読み込まれている。
◆昔は仲間の寄り合いと言うと、広い背に看板を羽織った親仁は、新しい足袋の指先に雪駄を引っかけて路地を曲って行く庭のたたずまいも家の中の様子も昔のまま。そして年月は流れ、人だけが老いていく。憂き事も楽しき事もただ一炊の夢として・・・。
◆日の暮れるのも随分早くなった。師走の二日、頭領大石の連絡で皆が深川八幡宮境内の居酒屋へ集まった。目立たない風をして、頼母子講の寄り合いでもする様に。
討入りは年の暮までに決着を付けたいという大石の連判状態確認の口調もつい何時もの柔和さとちがいきびしくなる。済んだ後は酒だ。皆強い。
小判にて飲めば
居酒も 物すごし
誰でも飲むわなぁと思う。そのまま詠んだ感じだ
◆日も迫り、前日基角に行き合った子葉(大高源吾)は
”年の瀬や 水の流れと人の身は”
と言う宗匠の呼びかけに
”明日待たる、この宝船”
と優等生の答を出している。川柳子は
”五十膳ほどと 昼来て金を置き”
と打入りの支度をした蕎麦屋に前払いさせている。
◆討入りとなるとこれは大変だ。
山川につまずく
やつがさいごなり
山と川と討入り当夜の合言葉である。云い損ねたら問答無用で最期となるこすいやつ
山よ川よとにげまどい
これぞ真骨頂、川柳の正解である。
◆言葉遊びに、自由豁達に世相、出来事をこれでもかこれでもかと洒落のめしていく江戸庶民のバイタリティーには唯々敬服する。
(平成8年12月5日)