時空を超えてー木々高太郎の雑記ー⑨くれ

◆暮れも押し迫り、愈々どうにもならなくなった若い夫婦もんは、借金取りから逃れる為に家を出て、町はずれにある庚甲堂でとりあえず一夜を明かそうとした。ところが傍に誰かがいる。子供である。解いた事もない髪を肩まで垂らし、裾の切れた着物を着て大きなウチワを持っている。
夫婦は驚いてお前は誰だと尋ねると
「私は貧乏神の子供だ、一体お前達はどこへ行くのか、逃がさないぞ、どこまでもついて行く」
と言う。どこへ行っても同じだと言われた夫婦は、仕方がないので家へ帰り、一生懸命に働く事にした。程なくしてある晩、貧乏神の子供は
「そんなに働かれては自分はとても居られない」
と言うや否やウチワを放り投げて逃げて行ってしまった。

◆これは日本のどこにでもある民話だが、時代も下ると随分せちがらくなって元禄の頃ともなれば、経済、文化ともに空前の繁栄を見たが、そんな時でも大晦日を超すに越せない多くの庶民がいた。

◆大晦日の晩は、どこの門徒寺でも平太郎談義と云うのがあり、親鸞上人とその仏弟子平太郎殿を讃えてお説教が行われるのが年末行事だった。しかしその寺では宵からはじまった御談議が済み、夜も更け除夜の鐘も鳴りかけているのに、集まった三人の信徒は帰らない。院王は油代にもならないので「ぼつぼつお引取り願いたい、仏様もあなた方の信心は充分受け取って下さっているでしょう」
と言う。

◆するとなかの老婆が、
「私は信心があって来ているのではない。息子が商売に詰まり、私を家出した事にして騒ぎたて、時間かせぎをして大晦日をやり過すのだと申しますので、お寺に参りました」
と涙ながらに言う。次の一人の男は、入り婿になったのだが追い出された男。もう一人は、ここへ来て酒一杯飲めまいので、お詣りの人の下駄でも盗んで酒代にしょうと思った、と言う。さすがに世事にたけた院主も成程と、貧のこわさに感じ入った様子。

◆そこへ東隣からは「井戸がつぶれたので、水をわけて頂きたい。」一方、檀家からは「一人息子が勘当されたので正月四日の間、寺に置いてもらえまいか」と。

◆何とこれでは浮世離れた坊さんもやりきれない。年の暮れは昔も今も一寸も変わらない様だ。
ではどうぞ良いお年を。

西鶴「世間胸算用」より

(平成8年12月25日)