時空を超えてー木々高太郎の雑記ー⑭野原に聞く

◆那須の高原の篠原には霰(あられ)が降っている。馬上の年若い武者の頬は寒風で真っ赤である。脚を締めて馬上で背を伸ばし、遠くの獲物を確かめる。

◆鞍に腰を降ろすと、この人の癖らしく手は勝手に矢羽根を撫でている。その手の甲に冷たい霰が降りそそぐ。

  もののふの 矢なみ
  つくろう 小手の上に
  霰たばしる那須の篠原

◆実朝の歌として余りにも有名である。元々体も余り丈夫ではなく、政治から遠ざかり歌に専念した様だ。何時も書院に座っている自分と比べ、この寒空に一、二度行ったことのある、あの那須の高原を馬で走る同年輩の若武者に思いを馳せて詠んだのであろう。武者絵そのままの、実にリズム感の良い美しい歌である。

◆宮中の年中行事の遊猟の日である。野遊びの心地良いつかれを思いつつ宴に入った。天智天皇の妃であり才媛である額田王の歌が高々と歌い上げられる。

 あかねさす 紫野行き
 標(しめ)野行き 野守は
 見づや 君が袖振る

そして傍らの大海人の皇子を見た。皇子は、額田王の前の恋人であり、今天皇の妃である彼女は四十歳。千二百年前の四十歳は現在ではどの位であろうか。

◆天智天皇も大化の改新がすんで近江で暮らした五年が最も良い時代である。崩じると、その周辺は直に壬申の乱へと入っていくのである。狩をし、宴を皆で楽しんだ一日、その中の何人かは三年程後どんな思いで大和の二上山を見るのだろう。

◆今年の宮中御歌始めの召人に、斉藤史さんと言う女流歌人が選ばれている。勅題は「姿」である

野の中に 姿ゆたけき
一樹あり 風も月日も
枝に抱きて

斉藤さんは齢八十七歳である。この歌には、その道六十何年の風霜を感じさせる。

◆彼女の父は、二・二六事件に連座して、職業軍人としての官職を剥奪され、やがて一家は長野の田舎へと行く。そこで戦時中地方誌の短歌の選者をしながら同人誌の活動を始める。

◆先の”君が袖振る”と詠みあげた額田王は千二百年前の四十歳。斉藤さんの年と数え合した時、歌からほとばしり出る若さ、迫力に感じ入るのは私だけではないだろう。それに比べ、美しいものに憧れる実朝には優しさを感じる。何時の代も男は優しいのである。

(平成9年3月5日)