時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㉒戦い済んで

◆だぼはぜ読書子はこの土・日、新聞の広告に乗せられて佐藤栄作日記を読んで見た。早速引用する。

◆昭和45年(1970年)3月21日に日航機乗っ取り事件が起きている。14名ばかりの赤軍派と称する一団が130名余りの乗客を人質にして北朝鮮行きを計るのである。行きたければ漁船か何かで行けば良いのに随分と人騒がせな話である。

◆ここで男・山村新治郎運輸政務次官が「私が乗客の身代わりになりましょう」と名乗り出たが、次官か何かしらないが、自分らは顔を見た事がないから知らんと言われ、真偽確認を社会党の阿部代議士が買ってでたという様ないきさつを興味深く読んだ。

◆そして一件落着後、両代議士には感謝状を「よど号」関係者一同(スチュワーデスを含む)には顕彰状を贈っている。

◆毎日新聞にリマの大使館人質事件の結末が載っていた。色々おかしいことが書いてある。

◆人質として最後まで残された事に対する不満、青木大使のいじめ、一方で大使が気に喰わないからといって麻雀にも入れてなかったとなると何かわからない。人質を何人かずつ解放するのならお客さんの外国の高官(当然年をとっている人)から解放するのは当たり前である。

◆これもスッタモンダがあって、最後は青木大使の解任でケリを付けたのであるが、解任後フジモリ大統領は駐日大使を通じ、青木前大使に最高位の勲章を授与した。ペルーの週刊誌は「青木の不幸」と題し、「セップク」させられたと同情を寄せる論評をしていると言うのだから中々日本通だ。

◆一方、日本の週刊誌は、噴き出した元人質の不満に国内の一部マスコミがとびつき、英雄が聞いてあきれる「密室のいじめ」と云うのぞき趣味的な批判が国民の中に流れたと書いてある。

◆この様な世情不安な国でご活躍の企業戦士の方々は身を鴻毛の軽さに置いて御活躍の事と思っていたが?・・・。

◆今一つ毎日新聞は白鳥事件、鶴田の事を載せている。事件は1952年、札幌市警の白鳥警部が、路上でピストルで射殺された。射ったのは鶴田と言う事だが、時は流れて、当時北大生の22歳であった鶴田は今67歳。現在北京にいるが、共産党の武力革命を信じ、その尖兵として闘った若かりし日、よど号乗っ取りのメンバーと同じく、かけがえのない一生を棒に振ってしまった。その間に彼等が信奉する共産党の本家とも云えるソ連がケロッと180度資本主義へと転換するのだから、これも殺生な話である。

◆お前達はそれで良いが、おいてけぼりにされた我々はどうなるのだ、、、。こうなると、程々でないとえらい目に合う様だ。然しそれは右顧左眄と言って余り尊敬されないのも事実だ。とかく浮世は住みにくい。

(平成9年6月15日)