時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㉓栄ちゃんと呼ばれたい

◆宰相佐藤栄作氏は巷間団十郎と云われた。大きな目、大きな顔で役者の様な男前であった。本人は栄ちゃんと呼ばれたいなんてことを云うからどうも工合が悪い。参院で喜劇役者上りの青島幸男なんかに自民党は財界の男めかけだと云われて一悶着起きるのである。その佐藤栄作日記が、朝日新聞社から出版された。

◆マスコミは余り好きでなかった様だが、とりわけ朝日新聞とは合わなかったのに、朝日の記者に「日記」があると云っていたことから彼の日記が朝日の手に依って発刊されたのは、奇しき縁としか云い様がない。然し珍しく各紙の余禄、春秋等の新刊書評は好意的であった。

◆或る紙は、永井荷風の断腸亭日乗(荷風の日記で大正中頃から昭和34年死ぬ前日まで記されている)の私人、或は自由人として、あのうるさい戦時中でも自由に生きた荷風と、公人そして総理大臣として寧日暇なき佐藤氏の日常を比べる時、人生の幸せ又はその比重をどこに置くのが正しいかを論じていた。人それぞれだが、その両極端な生き方を、その人の日記を通じて垣間見る時、感無量としか云い様がない。

◆現職総理大臣の橋本龍太郎氏は語っている。「学生時代にも親父と一緒に一、二度会ったことはあったが、親父が死んで26歳で衆議院に初当選し、お礼に伺った。顔見知りだし、総理というのも気恥ずかしいのでつい”おじさん”と云って叱られた・・・。」なんとも微笑ましい話で、橋本総理も随分若かったのである。

◆昭和45年3月14日は大阪万博の開かれた日である。この辺の処が面白い。12日から15日まで在阪するのだが、開会式の夜は内輪の関係者で「美々卯」のうどんすきに舌鼓を打つと記している。佐藤日記の中での数少ない食べ物の記述である。よほど美味しかったのであろう。

◆3月21日に突如として赤軍派と称する一団に日航機よど号がハイジャックされ、韓国はともかく北朝鮮がらみの解決に心身を削られるのである。これが片付くと4月8日、今度は大阪天神橋でガス爆発があり、死者74人が出た。次から次へと事件が起り、とてもでない日が続く。

◆「2月22日薄曇り、東京からゴルフに行くのもいやだし、10時半頃朝食、寛子(夫人)は森田たまさんの処へ出かけ、独りでお昼は簡単に一時半頃とり、4時半頃より庭でゴルフの練習をして夜はあんま。いい日曜日だった。」他にも日曜の一日奥さんと静かに暮らせた事を最上の幸せな良い日と記されている。

◆人間て本当にそうだと思いますよ。ひまでする事のない会長さん達、貴男の様な幸せな人は世の中にいないのですよ・・・。

(平成9年6月25日)