時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㉔まもるも せめるも
◆先日、京都大学の校歌の募集があり、結局はこの度は該当者無しと云う事で打ち切ると新聞紙上に発表していた。
◆当日の朝のコラムに、演歌と校歌に対するコメントが出ていた。類型的だが、校歌に使われる文書として多いのは、青春希望等誰でも思い付く所は一つである。それがいかんと云うのなら選者はどの様な処を狙っていたのだろうか。またどんなものがあるのであろうか「紅燃える丘の上」とか「見よ空高く輝く光」とか、これ等が駄目ならあの「遠くかすむは彦根城」と云う琵琶湖哀歌型も駄目なのだろうか。
◆次にこのコラムでは演歌に就いて別に良い悪いはともかく、文言の主流をなしているのは港、夜霧、別れ、船出等が多いと云っている。
◆良いじゃないですか、演歌の主流をなすのは感傷(センチメンタリズム)なんだから・・・。一部の人以外、余り恵まれない日本人には、もっともぴったりするのだから、必然的にそこへ流れる。
◆戦前もそうだった。私が驚いたのは、あのうるさい軍隊の内務班の中がそうなのだ。東満州の平陽と云う百姓家が何軒かあるだけのところへ入隊したのだが、そこで歌われているのは「流れ流れての地の果て・・・。」式の歌ばかりで、東満だかたら東海林太郎の「国境の街」なんかが歌われそうなのに駄目であった。
◆そのわけを今考えて見ると、あの歌は若干リズミカルで勇ましいという事と、あの歌詞が白々しい処にあったためだと思う。
”橇の鈴さえ寂しく響く、雪の曠野よ町の灯よ・・・。”これが何故か歌われない。東満に灯のついた様な街なんてないし、鈴なんて狼よけが尻の処でチロチロ鳴っているのが関の山だ。
◆それより大陸浪人的な「行こうか戻ろうかオーロラの下を」とか「流れ流れて落ちてゆく先は、北はシベリヤ、南はジャバよ」なんて嘘でもスケールの大きい方が好まれた様だ。内務班の内では、やり場のない鬱積を持った若い世代の人々が、唯々センチメンタルに落ち込んで行くのであった。
◆そして7月の下旬、突如として夢は破れる。早朝、黒っぽく迷彩されたトラックがやってくるや、フイゴを幾つも並べている。何かと思へば全部の馬の蹄鉄を取り替えるのだと云う。そしてゴンボ剣の刃付を始めた。こうして私達は戦闘状態に入っていった。
◆今、歌と企業と言う物を見る時、軍艦マーチとパチンコ屋さん程ぴったりこんのものはない。若い人達はあれをコマーシャルソングと思っているのかも・・・。
◆沖縄海戦で、巨額の建造費をかけた不沈戦艦「大和」は、三千の将兵と共に軍隊マーチに送られ呉を出航、撃沈されるのである。
(平成9年7月5日)