時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㉟桃源郷を尋ねて
◆これは160年程前の話である。越後湯沢の奥秋山部落はどうにもならない山の中である。当然伝承として、住んでいる人は平家の落人で、鎮守府将軍平維茂の六代目位の人が鎌倉幕府に追われて逃げ込んだ。人の立ち入れない処である。だから今だに古い風習が残っている。
◆そういう噂を聞いた新潟の質屋の小金持の御主人鈴木牧之さんは、何時か行ってやろうと狙っていた。ところが偶然その案内者と知り合ったので、矢も楯もたまらなくなりその人の指示により、米、味噌、醤油、鰹節、茶、ローソクを調え、人夫を雇って山に入る。二日がかりでたどり着いた秋山の部落の入口には高札が立っている。
「ほふそふのあるむらかたのものはこれよりいれず」
当時では疱瘡の神さんだけはどうにもならなかった様である。
◆この辺りは、牛馬は居らず、人が余り住んでいないので杣道にもならないけもの道で、笹をかき分けて進むのである。やっとの事で三倉村へと入る。
◆辧当(べんとう)を使おうと一軒の家へ入ると、老女が「ようちになった」と言い乍ら乾いたいら草をしごいて木櫛の様なものでさばいて繊維を取っている、これで布を編むのである。
◆老女は貲布(植物の繊維で織った目の粗い布)でつくった袖無し羽織の様なものを着ている。古代の貫頭衣の形が、この寒い処でそのまま残っている。茶を欲しいと言うと老女は「あなた方に疱瘡はないか?」と聞く。「うらの内のものは、今年は井戸蛙の様にさっしゃがんで里へは一度も出なんだ」、随分面白い形容である。
◆家は皆礎石も置かず堀立式で、貴は藤蔓で柱にくくりつけ、菅を編んで壁にしている。小窓があって入口は大木の皮を横木に渡して藤蔓でくくり付けてある。敷居もない茅葺(かやぶき)の粗末な家である。
◆然し雪の深い処であるから里よりは随分頑丈なのだろう。家の中は、この辺りは稲がとれない山中なので藁は乏しいので古いのを大事に使っている。家の中央には五尺四方の大きい囲炉裏を堀り、灰までは二尺程ある。木は豊富であるから充分に焚くのであろう。
◆休んでいるうちに帰って来た娘を見ると、油気のない髪を丸めて鉢巻をしている。木綿裕の垢づいた着物を普通より一尺も短く着て、二寸ばかりの巾の帯をしている。
◆桃源郷を求めて山深く入った鈴木牧之は、此処に厳しい古代生活風俗の名残りを見るのである。そして牧之は次の様に書き残している。
「この地の人は温厚篤実にして人と争はず、色欲に薄く、博奕(ばくえき)を知らず、酒屋なければ酒を飲まずむかしからわら一筋も盗みたる人なし。これぞ桃源郷」鈴木牧之著「北越雪譜」より。
◆昔より語り継がれた中国の桃源郷は、一年中春で、桃の花咲く夢の国であるが、日本の鈴木牧之の見た桃源郷は厳しい環境の中で、心の桃源郷を持った人々の姿である。
(平成9年12月5日)