時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㊳袂から春は出たり松葉銭
◆とし立ちかえり、それは新しい年を迎え、遠山にはかすみがたなびき、谷川の水もぬるむ穏やかな春景色と言いたい処であるが、四方八方、白一色の銀世界の雪国では、春を迎えて肌を刺す様な寒気、そして好文木(梅の花)もなく、歌を詠む友人も鳥も来ないから、一日中伊勢暦をくり広げ、農作業の段取りに日を暮らし、そして春を想うのである。
◆今はしきたりも追々変ってきて、神社にも、お寺にも注連飾り(しめかざり)が飾られて、松竹の千年の齢を寿ぐ札者達が麻上下をつけて、町で行き交うのであるが、田舎では気軽な温かい恰好で、寛永通宝を杉原紙にも包まず、この土地の習慣で、松葉に通して造る丸出しの年玉は、これこそ山寺の春である。
◆袂から春はでたり 松葉銭 曽良
丙辰吉旦と出ているから延宝四年の正月である。曽良は諏訪出身の俳人である。諏訪の正月の寒さのにじみ出た俳文ではあるが、想いを都会の正月の賑いにはせ乍ら、雪深い山里の、しんしんと雪の積る音の聞こえる様な正月を述べた俳文である。
◆一方、井原西鶴はなにわの春を書いている。
「松の風静かに」と松平氏、徳川幕府の天下泰平を松の枝も鳴らさぬ御代と祝っている。ほのぼの
と明けてゆく街には縁起物の戎大黒の姿絵の売り声が「若えびす、若えびす」と聞こえる。商売人は夫々縁起ものの”売っての幸い買うての仕合せ”と言いあうのである。そしてこよりをより上げて、帳面を綴じ、上書きをする。すぐに棚卸しをして次に蔵をあけて、手持ちの銀の勘定をする。そして鏡餅を開いて雑煮を祝うのである。
◆初春の、銀の目方を計る天秤の使い初め、小さい槌の音がそこかしこの家から聞こえる。針口を叩く音は福の神大黒天の打ち出の小槌かと思われる。大黒さんの槌も、この天秤の槌も、槌から宝が出るのではなく、何なりと欲しいものは、その人その人の知恵袋より取り出されるもので、その人の才覚から出るものである。
◆それ故に商売人は元日から心づもりに油断なく千金にも替え難い重大な一日であり、一年中の総計算日と言う大晦日を、あらかじめ頭に入れて油断なく一年を過ごさねばならない。
◆これは如何にも町の商売人の厳しさを論じている。正月の商家の行事は述べてはいるが、一年中働き続けた人達の息抜きの様なものは全くなく、昨日やっと乗り越えた大晦日が、うかうかしていたらすぐに来るぞと、警告しているのだからかなわない。何時の時代も街そしてそこで戦う商売人は厳しい様だ。
[注]旅人・曽良と芭蕉・・・岡田喜秋著。
井原西鶴世間胸算用・・・前田金五郎訳=より
(平成10年1月5日)