時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㊹メンコの数で来い

◆5月ともなると、旧東満州平陽の丘陵地帯は、一面のタンポポにおおわれる。私は兵隊であった。元いた部隊は南方へ行ってしまったので、吾々新兵さん五十人程づつが古参兵の指導のもとに毎日暮らしていた。五年も六年も兵隊をしていて、未だ上等兵という出世街道をはずれた、やる気を失った人の下で暮す吾々は幸せだった。

◆この人達も、横綱のように付け人が十人以上もついて、至れり尽くせりの世話をするのだから、文句の言い様もないようで、余り過酷な教育をやらなかった。今も思い出すのは、その中の一人でハーフで長身、色白く、鼻のヤケに高い神田譲二上等兵がいた。

◆どうしてか服、シャツは何時も新品のようで、革の長靴は白、上衣の上ボタンホックはいつもイキにはずして、ズボンのポケットに両手をつっこみ、帽子をあみだにかぶって、キメているのである。地方にいた時は神戸でキャバレーのバンドマンをしていたというだけあって、何時もジャズのリズムを口ずさんでいた。吾々は憧憬の眼差しで仰ぎ見ていた。

◆先生の方もそれを意識し、また一方では吾々なんか気にする必要は何もない。ただ一度だけ彼が一つ位の上の兵長とけんかするのを見た。なぐられた兵長は羽目板の処まですっ飛んで行き、そのままへたり込んで終わりであった。吾々初年兵に対してこれ程の力の誇示は無かった。

◆タンポポがすむと雨の季節である。この時もヒマである。この人達に何の用事があるのか、ぬかるみを歩いてくる。吾々は汚してきた靴の手入を一日しているのである。

◆考えたら兵隊も三日やったら止められない内に入るのではないか。一応衣食住と小遣いはついて廻る。無理に出世しなくても、年期が長いということが、かなり物を言う。ここ一番という時になると案外出世できない人の方が多いので、同情はこの人達に集まる。仕事はほとんど無い。またあっても何とか言いぬけてやらない様で、一日中班長室に居るのである。

◆御飯は俗に言う“上げ膳据え膳“好きなだけ食べ終わると、横むいて煙草を吸っていたら、ちゃんと片付けてくれる。またこの班長室というのは、吾々新兵さんから見たら魔法の部屋で、酒タバコはおろか、なんでもここにはあるから不思議である。天井裏には、兵隊が腰にぶら下げているゴンボ剣から、鉄砲の遊底覆いまであるんだから驚く外ない。

◆最後に申し上げるが、この人達は関特演の上等兵と言う、勝新太郎の兵隊やくざの映画を地でゆく様な人である。人間、開き直ったとき程強い者は無い。今の人には関特演の上等兵の『星の数がなんじゃ、メンコ(御飯の入れ物変じて食事のこと)の数で来い』という開き直りが欲しい様に思う。

◆皆さん、余り遠慮しないで開き直れば、その日から、この世は天国になりますよ。

(平成10年4月20日)