時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㊾ 司馬遼太郎氏 昭和と言う国家より

◆私達は小学生の高学年の頃には、情熱をもって少年倶楽部を愛読した。漫画は田河水泡の「のらくろ」次いで「冒険だん吉」、小説では山中峯太郎の「敵中横断三百里」高垣眸の「怪傑黒頭巾」に交じって、作者は忘れたが「星の生徒」と言う連載があり、陸軍幼年学校の入学から卒業迄が書かれていた。そしてこの陸軍幼年学校から陸軍士官学校を恩賜の銀時計で卒業し、次いで陸軍大学を恩賜の軍刀組で卒業した英才の集まった処が東京三宅坂の参謀本部なのである。

◆明治憲法は司法・行政・立法の三権分立を骨子として造られ、それは今も受け継がれている。言い様の無い完全無欠の憲法なのだが、それが唯一つ陸海軍は天皇之を統師すると言う項目があった。憲法を制定した伊藤博文が思いもよらなかった統師権を三宅坂の秀才は持出し、俺達は特別なんだ俺達はは特別に軍事的な仕事に関しては天皇に直接言う事が出来ると言い始めた。之が帷幄上奏権で戦場では天皇はテントの中にいて参謀と戦術を練るのである。そこには内閣も議会も入る余地はないと言う理論である。軍人勅論の軍人は政治に係わらず等と言う自分達に具合の悪い事は無視して東条大将は内閣総理大臣にまでなるのである。

◆作家の司馬遼太郎氏は「昭和」と言う国家の中で昭和と言う時代になって日本はどうなったのだろう、どう考えても判らない説明の出来ない事を次から次へとやらかして結局昭和20年には国を破局に持ち込んで了ったと書いている。昭和と言う森に包み込まれた日本はその森に現れた魔法使いのポンと叩いた杖によって、常識では考えられない方向に歩み出すのである。英才集団の参謀本部を信じ、また首謀者のカミソリ東条と言う策士を信じて国は破局へと進むのである。

◆更に司馬氏は言う『当時は各家庭にラジオも満足に無かった時代で、海軍報道部長の戦況報告、また東条大将の演説はそれなりにラジオ屋の店先で人が集まって聞いていた。皆がそんなもんかなあと言う感じで聞いていたのだが、一人の大工か左官の職人風の男が「なんかしょうもない」と一言。之ぞ百日の説法屁一つである。』と。

◆今述べた事は約五、六十年前の話である。現代の英才は、大蔵官僚を始めとして霞ヶ関に集まり色々なんの因果化身を亡し国を亡ぼそうとしている。何故、世界一の債権国が、世界一の借金王国に振り回されねばならないのか、アメリカはどんどんドルを印刷しては手当たり次第、車であろうがなんであろうが買い込んでいるのである。アメリカ村にいる若者の様に、欲しいものを何でも買っている。借金を返す気はあるのか、米国債の金利はいくら高くても元利共その内に紙くずになるのだ。皆さん騙されない様、私の言うことを信じて下さい。

(平成10年7月5日)