時空を超えてー木々高太郎の雑記ー51 階前の梧葉すでに秋声

◆朝食のパンを食べていると、愚息が店へ出てきた。早速孫たる豚児の愚痴である。成程七月も二十日を過ぎると、一学期は終了で、昔で云う処の通知表を貰ってくる。今日びの事であるから小学四年にもなれば家に依っては塾通いが始める。休日となれば、親子でサッカーにうつつを抜かしている様な事では成績が芳しい筈はないのだ。

◆そういえば私等の頃も今と同じ一学期は二十日頃に終わり、通知表と「夏休みの友」と表紙に書かれた日記帳式の問題集
と先生オリジナルの宿題を貰ってくるのだが、家に帰ってくると、そんなものは投げ出したままで、もう友達が待っている外へ飛び出して行く。なに心配する事はない、夏休みは今日始まったばかりで、新学期迄に四十日あるのだ、四十日なんて何時くるかわからない程のずっとずっと先の話なのである。

◆追っ掛ける様に楽しい事は続く。翌日から一週間は四・五・六年生は浜寺水練学校行きである。水練学校と云っても厳しい訓練をするわけで無く、海水浴に行くのである。

◆阪堺線の恵美須町から浜寺行きに乗る。この電車は今も昔も余り変わらない。沿線の風景も変わってない様で、家の庇すれすれに走るのである。それでも市街地を離れると玉葱畑が続いていて、そこにはオランダ風の大きい羽根を持った水車が立っていた。あの水車は未だに何のためなのか判らない。水を汲み上げていたのかなあと漠然と思っていた。

◆終点浜寺で降りるとすぐに砂地の松林になっていて、そこを通り抜けたところがもう砂浜で、遠浅の理想的な海水浴場であった。

◆男の子は海水パンツかクロネコと云うニックネームの褌をしていた。そして男の子も女の子も、はじき豆を小さな木綿の袋に入れたのを腰にぶら下げていた。これが適当な水温でほとびて、そこに海水の塩味がしみ込んで、一粒づつ皮を海に捨てながら食べれば、これぞ海水浴だと感激したものだ。流石に先生は豆はぶら下げていなかったが皆首に白い紐でピッピッと鳴る笛をぶら下げていた。拡声器の無い時分だったから、この笛がすべての用を足した。学校へ帰ってくると生姜の効いたあめ湯が待っていた。

◆土用波が立つ頃になると遠浅の海は砂で濁るので水練学校も終わるのだ。ここで立ち直って宿題に取り組めば良いのだが、
未だ一月もあるのだ、まあ明日からでもやるかーと思っている内に、盆が過ぎ、お地蔵さんともなれば夏休みはあと十日も無い「未だ覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉 既に秋声」

・・・嗚呼七十年間一つも変わっていません。

(平成10年8月5日)