時空を越えてー春男の雑記ー63 徒然草(一)酒談義
◆一月も下旬になってくると余程の要心をして、暴飲暴食を慎んでいるのだが、毎年の事ながら調子が崩れる様である。どうも昔から飲み助は皆そうらしい。今から約六百年前に兼好法師によって書かれた酒飲み談義に克明に書かれている。
◆今泉忠雄先生は、徒然草注釈には矛盾が多いとのたまう。例えば前段で酒を人に悪進めして飲ます人は仏説で五百回の間、手なき者に生まれると言ってるかと思うと、冬、手軽な処で心安い友人と鍋でもつつくのは最高だとも云っている。私は矛盾かどうかより、兼好自身が酒が好きだったかどうかの方に興味がある。
◆彼は「世間では納得のいかない事が多く、何か事があれば先ず酒だと言う事になる。そして無理にすすめて自分だけが得心している人が多い。本当にわけの分からない事が多い。すすめられた方は嫌な顔も出来ないので、隙があれば盃の酒を捨て様とねらっている。酒のきらいな人はそんな具合だが、好きとなると又困るのだ。
◆日頃端正な乙にすました人も酔う程に狂人の様に乱れ、あげくに果ては前後不覚となって、お祝いも何もなくなってしまう。日頃の紳士も口汚く人に悪口を言ったり、ひざをたくし上げて、毛ずねを出して喋りまくる。そもそも酒は心の憂さを払う玉掃なのだが、ここでは夫々愚痴を出し合って、楽しいなどと云う雰囲気ではなくなるのだ。
◆酒が廻ってきた女は顔にかぶってくる髪をかき上げ、顔をのけぞらして高笑いをする。そして傍らの盃を持った男の手にすがり、また、男の口に自分の箸でつまんだ魚を持っていき、残りを自分も食べるさまはあさましい」と書いている。
◆夫々が声の限り出して歌い、踊り、愚痴を言い合うというのだから、六百年前も今も人間は一つも進歩していない。帰るとなると勝手にその辺の物を懐へ入れ、馬や車に乗った者は落ち、歩いて帰る者は大路の溝に汚物をまき散らし、目もあてられない。
◆それはそれとして、酒が本当に美味いというのは、初めに書いた様に場所は別に小さい、きたない処でも良いから気の合った者が何人かで、火をおこして鍋を囲んで吾か己かで飲めば、飲み過ごしてもそれなりに良いものだと、ここでは酒飲みを礼賛している。
◆この人の論法は、先ず盛んに酒飲みの弊害を書き立てておいて、あとはケロッとして酒を讃美している。然し一方では二日酔の様を克明に書いてその害をとなえている。あくる日は頭痛く、物食わず、くさい息をして全然昨日のことは覚えていない。そして一日仕事にも何もならず、皆それなりに後悔している。ほんまに昔も今も変わりませんなぁ・・・。
(平成11年2月5日)