時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㉑だいきでんしゃ
◆私の祖母は、熱心な天理教の信者で、子供の頃月に一度は奈良の天理へ連れられてお参りした。何時も女の人が何人か一緒だった。
◆今の近鉄は昭和の初めの頃は大軌と言っていた。始発の上本町六丁目のコンコースの上は、三笠屋と云う百貨店であった。電車に乗るとみんな一様に座席の上にオッチン(正座)で座る。席が定まると飴が一つづつ配られる。これは昔も今も余り変わらない様だ。
◆電車は二両連結で、勿論全部各停である。鶴橋を過ぎ今里あたりまで来ると、車窓は田園風景一色である。電車が駅に停まると、車掌が素早く飛び乗り、外から切符にパンチを入れるハサミで後から前へ、戸のかけ金をカチャカチャと外し戸を開ける。客の乗り降りが済むと、今度は前から後ろへ、また戸を締めて止め金をカチャカチャとかけていく。一番後ろの車掌の乗る入口までくると合図の笛をピーッと吹く。と電車はガタンと動き出す。
◆今の様に六両も八両もつないでおれば無理だが、当時ではそうしかやり様がないし、急ぐからと云って文句を云う客もいないし、子供は車掌のキビキビした動作を、尊敬と羨望の眼差で何度も見ていたのである。
◆車内では今の中吊り広告の様な箱が、電車が発車すると、次は石切、次は生駒とぐるぐる出ていた。五月の初めの頃は、生駒からあやめ池にかけては山つつじが咲き乱れ、子供心にも印象深い景色であった。
◆先日の新聞に出ていた大阪の市電は、俗に言うチンチン電車である。運転席に戸はない。この電車がフルスピードで走る時は、猛獣の様に頭を上下、左右に振り立てて走るのだ、これは見るたびに楽しいものだった。交差点に差しかかるとパッと電気が消える。車掌は後ろの窓を開けて架線にかかったポールについたロープを引っ張り、惰力で電車が交差点を過ぎた処で、架線に寸分の違いなくポールをはめる。これぞ職人芸である。走る電車の後ろの窓から上半身を乗り出してそり返り、身の危険をかえり見ない姿は正に英雄であり、憧れの的であった。
◆新幹線のひかりなんてのは大概速いので嫌な感じなのに、まだ速い「のぞみ」なんてのが20分とか30分速いとか言って危なかしい事をやっている。そんな事より、商売もひまになり、身体もあいた事だし大糸線(信州松本大町糸魚川)に乗ってゴトゴト各停で、車窓に穂高、白馬の山々、そして大池等を見ながら、余り時間のことを考えずに汽車の旅なんてどうですか。どうにもならぬことをくよくよしているより良いと思いますが・・・。
(平成9年6月5日)