時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㉚おひがん
◆大阪では昔から、お彼岸ともなれば天王寺さんへお詣りをしたものだ。市電が上六から上本町九丁目にさしかかると左にJOBKの放送局があり、椎寺町を左へ、あべの橋の方へ廻ると次は天王寺西門前で、お参りの人が道いっぱいなっている。
◆電車を降りるとすぐ前にあるのが、とてつもなく大きい石の鳥居で、高さが九米もあるという。昔にこの様な大きいものをよく建てたものだと思う。鳥居にかけてある額は”住吉大社”とか”✕✕宮”と書くのが一般だが、ここでは「釈迦如来転法輪所 当極楽土 東門中心」と四句の聖徳太子の言葉が書かれている。書いた人が小野道風というから大変なものである。因にこの額は木拓にして宮殿の床の間にかけてあるが立派なものである。
◆天王寺さんの結界(鳥居)の中では、お釈迦さんの有難いお話を誰でも聞く事が出来、この寺の中は極楽であり、西門の中心は遠く極楽浄土の東門に当るのだと書いてある。
◆お彼岸の中日の23日は昼と夜の長さが同じで、お陽さんは西門の中心を真西へ沈む。そこには浄土があり、夕陽を眺め乍ら念仏をとなえると極楽へ行けると言う信仰に根ざした言い伝えが大阪にある。夕方5時半頃、西門から西へ一心寺がある逢坂の方に向かい沈む夕陽を拝むことを、親から子へと伝承されてきたのである。
◆境内に入って、石舞台の少し左に丸池と云う小さな池がある。以前は蓮の花がよく咲いた池で、何か行事のある時は、池の周りを大きい数珠を廻して念仏を唱えていた。
◆石舞台の前では、御詠歌の講があり、昔乍らに御詠歌に合せて、主に女の人が扇を持って舞っている。浴衣の様な着物に首から輪さげをかけて、馴れた手つきで踊っている。
◆石舞台の前には六時堂というお堂があり、一般のお参りの方の祈願や西国詣りの朱印揮毫や納骨等が行われている。ここには私達にとって昔を彷彿させる仏さんがおられる。壇を上って右手の撫で仏”びんずるさん”だ。天王寺の中で唯一、子供がさわってもおこられない仏さんで、みんな頭を撫でて無病息災を祈るのである。
◆皆さん、忙しい日常の中から、一の休息を、昔と変わることのない天王寺さんで、過ごすのも良いのではないかと思います。何故なら昔の大阪の人達の生活が、そこに生きているのです。今は失われた大阪が、ここには生きているのです。
(平成9年9月25日)