時空を越えて-春男の雑記-59 鳴く鹿の声きく時ぞ

◆“奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき”
百人一首のこの歌は正に平安時代の世界である。この頃は奈良の春日に、或いは
安芸の宮島に神鹿・・・・神の使いとしての鹿の生活は保障されていた様である。晩秋の
一日、紅葉そして鹿を尋ねて宮島へ杖を引いた。

◆厳島神社の裏山は紅葉一色である。陽が暮れなずむと、夕もやが立ち込めて鹿が遠鳴きを
する。古代の洞窟や土器に線で描かれた鹿は、かなり大きく感じるのだが、ここでは山羊
よりも小さくみえる。昔は大きかったのであろう、大きな角を振りかざす牡鹿には憧憬と親しみ
を持った様で、風土記にも鹿の話が多い。

◆姫路の飾磨の名前は三間津日子の命が、ここに星形を造って住んで居られた処、ある日大きな
牡鹿が鳴いているのを見て命がかわいそうにと思い、鹿に因んで飾磨の郡と名付けられたと言う。

◆また逸文「摂津の国」では夢野乃我野と云う章があり、そこには次の様に語られている。雄伴(おとも)
の郡(こおり)には夢野と云う野があり、その名前の由来として代々語り継がれている物語がある。
むかし刀我野に一匹の雄鹿がいたと云う。その正妻の雌鹿も同じく刀我野にいたと云う。妾の雌鹿は淡路
の国の野鳥にいたと云う。雄鹿は絶えず野鳥へ通い、妾との情愛は格別親密であった。

◆さてある日雄鹿が正妻の所で一夜を過ごしたことがある。その翌朝雄鹿は正妻に、昨夜は芒が背中一面
に生え、そこに真白に雪が降りそそぐ夢を見たと語る。雌鹿は雄鹿が野鳥の妾の処へ通うのを嫌って、心
にもない嘘の夢判断をする「背中の芒は矢であり、降りそそいだ雪は貴男が塩漬けにされる事だ。貴男が
淡路の国の野島に渡ったらきっと舟人に見つかって殺されてしまうから絶対野鳥へは行かないで。」と言う
のである。

◆しかし妾が恋しい雄鹿は我慢出来ず出かけ、海を泳ぎ渡る途中、偶然にも船に出合い射殺されてしまう
のである。それ以降刀我野を”夢野”と言う様になったと言うのである。

◆上代には夢は人知を超えた神のお告げと信じられていた様で、夢合わせで出た神のお告げに従わなかった
雄鹿には当然死が待っていたのである。刀我野の猛々しい雄鹿でも夢判断には勝てなかったと言う事を
言い伝えている。

◆二十世紀では、マスメディアが正しく夢合せをしてくれている様である。そう考えて指針として明日
に備えなければ仕方がない。虚心坦懐に対応しなかったら、この雄鹿の様に破滅を見る事になるのは間違い
ないのである。太古は神のお告げとした夢合い、現在はマスメディアを通じての情報が夢合いではないか
と思われる。一層の努力を!。

(平成10年12月5日)