時空を超えてー春男の雑記ー70 毛生え薬

◆”トッカピン”ならぬ現代版「バイアグラ」は熟年層にはかなり関心があるのだが、之はかなり危険が伴うとの事で、勇気と決断がいる。従って女性のはべる酒席では応々にして話題になるのだが、若し肝心なとこで調子が悪くなって、救急車を呼ぶ様なことになったら、そりゃえらいことでっせと言った処でバイアグラの話は何時も終わるのである。

◆ところが二、三日前の新聞に「毛生え薬」と言う事で、大正製薬が米国の製薬会社と提携して、六月に全国一斉に売り出すと発表した。一ヶ月の薬代は五千五百円で二、三ヶ月後には生えてくる、然も売り出すのが一流製薬会社である。毛生え薬を塗って救急車を呼ぶ様な事も起きないだろうし、今年の夏はおつむの薄いお方は皆さん五千五百円を握って薬局へ行かれることだろう。

◆昔から精力剤と毛生え薬程インチキの多いものはない。豊臣秀吉さん等随分薬屋さんに奉公したことだろう。インチキとまでは行かないが・・・。

◆明治時代、河口慧海は中国語からきた大蔵経は得心がいかないと、本当のところを証明したいと焚語の原典と、チベット語訳を求めて、チベットに侵入する。当時、鎖国政策をとっていた西蔵へ入るには、必ずインドでチベット語を修得してから旅立つのである。

◆その河口氏の「西蔵旅行記」二巻は博文館より出ているが、物好きな事に最近その足どりを追ってチベット入りをした根深誠と言う人がいるから驚きである。「遥かなチベット」と言う本が出ているが、私はその中に昔のままの人情生活が語られているのに感銘した。次に少し抜粋する。

◆私達はポーター頭のヌルブの村へ入っていく。木橋を渡った処でヌルブの長男と偶然出会った。放牧地へ行くのだった。十三歳になると言う日本では中学生の年令だ。二十数日ぶりに村へ戻って来た父と出会って、その場に立ちすくんだまま大きく目を見開き、感極まって涙を流していた。少年の純情をのぞき見る思いがした。ヌルブが長男の肩に手を当てて宥めた。「泣くな泣くな」とでも言っている様であった。ヌルブの家は村の西寄りにある。子供達が一斉に叫んだ。「お父さんが帰って来た!」

◆ヌルブの家族は弟と妻そして子供が六人の九人家族で、妻は弟と共有である。日本だって万葉時代、額田女王は大海人皇子の寵を受けてから兄の天智天皇の后となっている。これは余りにも有名な話である。

◆ネパールの小丘民族は登山隊のポーター等をする人以外は村から出ることもなく一生を終えて行くのだ。日本の万葉時代に似通った生活習慣、そして人情、こすっからい人間でないと生きて行けない文明社会なんて本当にどうなってるのだろう。
(平成11年5月20日)