時空を超えてー春男の雑記ー112 天守物語
◆”通りゃんせ 通りゃんせ ここは何処の細道じゃ 天神様の細道じゃ 一寸通して下さんせ 御用の無いもの通しゃせぬ”手毬唄を唄う女童の澄んだ声が聞こえてくる。紅の鼓の緒を張り廻した欄干に立ち、或いは座った五人の侍女達が手に手に五色の絹糸を巻いた糸棹より釣糸を垂らして釣をしている。場所は姫路白鷺城の五重の櫓の廊下である。そこで間もなくやって来る城主富姫の妹で、岩代国猪苗代、亀の城の主、亀姫の為に饗応の野の花を釣っている。「秋草は、今頃が霧を沢山欲しがるのです。まだ夕霧も夜露もない時刻ですもの」と彼女達は白露を餌に花釣りをしている非常に美しく幻想的な場面である。
◆城の棟に下り立った猪苗代の亀姫は眷属を従えて現れる。朱色の顔をした犀の様な角を持った山伏姿の朱の盤坊。次に白銀の髪を後ろへ垂らし、丈長で髻を結わえ、黄ばんだ絹の着物に色あせた紅の袴をはいた舌長姥。それに侍女、女童を従えている。ここで大好きな姉の天守夫人富姫と対面する。今日の約束は手鞠つきの遊びである。
◆朱の盤坊が「これは格別奥方様の思召しにかないましょう」と取出した土産物は、白い布に包まれた首桶。中から男の生首を取り出してずんと据える。「やや道中揺溢いて汁が出ました。姥殿、こなた一拭い清めた上で進ぜまいか」夫人「血だらけは尚美味しかろう」・・・こうなると妖怪の世界である。立ち上げって遊びに行く姉妹は、そこに飾られた獅子頭を見て「お姉様は羨ましい。良い旦那様がいる」と言い二人は莞爾とする。お互いに何の不足は無いけれどこんな男がほしいねぇーと。
◆天守の五重へ登った二人は鷹狩から列を正して帰ってきた城主の持つ白鷹が目に止まった。そうだ鷹なれば鞠つきの相手もするだろう。亀姫の土産にしようと立ち上がった夫人は、手をさっと振りかざすと、白い鶴が舞い立つ様に下から見えたこれを見た殿様は直ちに白鷹を合わせた。夫人は易々とつかまえると下から見ていた人々の視野から消えた。物語はここで一大展開をする。
◆妖怪の棲家として入れば絶対帰れないと知られている天守へ鷹を取り返そうと、駆け上がって来たのは鷹匠の眉秀でた美丈夫、姫川図書之助で、妖怪の化身である夫人と人間のロマンスが進むのである。美しい鶴に目を奪われて夫人に鷹をとられた殿様は鷹匠の責任だとして切腹を命ずる。鷹匠は家来だから、仰せのままに生命を差し出すのが臣たる者の道だと言う図書之助に夫人は「ああ主従とかは恐ろしい。鷹と人間の生命を取りかえるのですか。然も責任は殿様にあるのではないか。何と人間の世界は恐ろしい。そんな所へ帰らないでこちらに居るように」と進めるが、それを振り切って帰って行き、結局は家来達に追われて天守へ戻ってくる。追い詰められた二人は、一緒に死のうとする。
◆この様にこの物語は恐ろしい生首を欲しがる美女達の世界、妖怪の美女が人間となって一緒に死のうと言う美女と美剣士の相愛の世界などが渾然と交じり合い、美しい幻想的で幽艶の世界を描き出している、皆様も憂き世を忘れてご一読なさっては・・・。
泉鏡花作 天守物語より
(平成13年3月20日)