時空を超えてー春男の雑記ー115 デフレ下の壺中の天
◆四ツ橋の南北の信号は長い。幹線だから仕方がないのだろう。信号を待っている間、青空を見上げ、あたりを見廻していると不動産屋の最新賃貸情報の広告が目に入ったつまり昔であれば「二階貸します」というやつで大体ワンルームマンションで、駅より五、六分、月五、六万である。ワンルームに住む気であれば田舎へ行けばもっと安いのではないかと思った。
◆元々小生昔の男の子なので胃腸が弱い。クーラーで冷やし、冷たいものを飲む夏は、大の苦手で死ぬ思いで夏を暮らすのである。然し待て待て、よく考えたら信州諏訪か大町あたりで、ワンルーム五万円位のを借りておいて、暑い間はそっちで暮らすと言うのはどんなものだろうかと考えて見た。だが、そこで一番のネックになるのは何かと考えたら要は沢山の家財道具があると言う事だ。江戸時代であれば引越しとなると、水屋、タンス道具まで近所の古道具屋へ売って、引越し先で又古い道具を整えるのが大方で、一反風呂敷で肩から担いで引越しが出来た之は亡くなった落語家の枝雀の十八番「宿替え」でよくやっていた。裸一貫トランク一個で暮らす様にすれば、冬は暖かい南国土佐、夏は涼しい軽井沢や信州の諏訪湖暮らせるのだ。
◆人間はよく金や物に振り回されていると言うがその通りである。本当に何が良いか考え直す必要があるのではないか。徒然草の百四十段に「死後に財産を残すと言う様な事は賢い人のする事ではない。良い品物が残っていたら死んだ人はきっと心残りだろうと言うし又、それを廻って取り合いの争いが起きるのである。これは誰にやりたいと思うものがあればさっさと生きている内にやれば良いのだ。要は朝夕無くてはならない物さえあればそれで良い。それ以外の物は何も持つ必要はない」と言っている。全くその通りだ。
◆又、もう一つ面白い事を三十八段で「名前や肩書きを追うて閑かな生活をする事も無くバタバタと一生を送るなんて馬鹿の骨頂だ。金や財宝を天に届くまで積み上げても、煩わしいだけで碌な事は無い。馬鹿でもチョンでも家柄の良い人は出世するのだし、まあ我々はそんな事に労力を使うのは損ですよ」と言っている。
◆中世室町戦国時代の人で、権大僧心敬と言う人は「かくばかり うき身なれどもひとりだに うらやましきは なきこの世かな」と言い切っている。応仁の乱の最中、乱を避けて東国相模に隠棲し、そこで没したのだが、世の中総ての人はそれなりに苦を抱えている。割り切って言ってしまえばこんな事ではないか。高望みせずにそれなりに暮らすのが一番良い様で、今で言えばデフレの時代は隠棲するのが一番で、陋屋にあっても金殿玉楼は己の嚢中にあるのではないか。
◆中国でも壺中の天とか隠棲思想は、戦乱に伴う生活苦からの逃避思想が受け入れられた様である。一面では世の中の進歩から逃げると言う事であるが、小生ばかりではなく、どうぞ皆さんもこう言う一面を充分考えながら対処しては如何でしょうか。
(平成13年5月5日)