時空を超えてー春男の雑記ー118 数奇は一代

◆古美術商「甍堂」の主人青井さんは、惚れ込んだ品物を手に入れ、つくづく眺めて居ると感動のあまり泣き出すのである涙を流し鼻水を啜ることもあるのだろう。十歳の娘さんは、お父さんに市に行っても物を買ってこない様に言う。今一つ青井さんの泣く原因は支払いにある。高価な品物の代金の算段を考えるとため息も出ようと言うものだ。然し、いくら娘に言われても買わずにはいられない、泣かずにはいられない。

◆地味な商売をしようと骨董屋を始めた青井さんは、性格は地味で余り欲は無いのだが、彼の目は貪欲で行動的であった。分明には見えないものに対し、彼の目は吸い寄せられる様に接近して行った。例えば、勾玉は誰が見ても古代人の心の象徴で誰でも魅惑される。しかしこの真贋の判定、時代の弁別は容易ではない。試行錯誤の一年間、青井さんには真の勾玉にある本物特有の線が見えてくる。その線に感動して又涙が流れてくるのである。

◆更にこの世界では、良いものがすぐに売れるとは限らない。一月分の売上をはるかに超える値段で、藤原期の神像の頭を買い、青井さんは興奮したけれど二年間売れなかった。目利きは皆良いものだと感心するが、値段を言うとそそくさと帰って行く。青井さんは値段とか相場などを知るのは目の邪魔だと思った。結局この神像の頭に感動し、買ってくれたのは外国人で、日本の仏教美術には目に一丁字のない人であった。ものに惚れるのに知識は要らないと言う事だ。

◆次は奈良の古美術商友明堂主人田中明光さんの話である。「人が亡くなるとその人の生前愛していた品物から、まるで潮の引くように生気が失せ道具の精彩がこそぎ落ちると言ったら信じて貰えるだろうか。私は何度かその経験を窘めている。誰もがどんな角度から見ても名品だと言う様な骨董は退屈なもので、特定の人が独自の角度から射る目の光りの矢が当たって初めて鳴き声を上げるような骨董が面白いのである。所有者と道具の関係は常に等身大である。昔祖父が病気で息を引き取った後、家に帰って祖父の集めた李朝の白壺のあれこれを眺めると五月の陽光が溢れていたにも拘わらず、白壺は埃を被った様に薄汚れて見え、祖父の死が実感を伴って迫って来た覚えがある」と述べている。

◆田中さんは「数奇は一代」と言った明治から昭和にかけての大茶人として名高い耳庵松永安左衛門と親交が深かったが、耳庵さんが亡くなられた後に、その多彩で個性的な諸々の道具を打ち眺めた際、みるみる花が萎れていくのを目の当たりにしている。「数奇は一代とはよう言うたもんや」とつくづく思ったと言う。人が死ねば物も死にまっせと田中さんはギクリとする様な事を言う。

◆骨董であろうと財産であろうと一緒である。次の人が甲斐性が無ければ居心地が悪いので財産は霧散して行くのである。それで良いのだ。世の中そうして次へと廻っていくのである。[骨董屋という仕事・青柳恵介より]

(平成13年6月20日)