時空を超えてー春男の雑記ー119 おそるべき君等

◆「おそるべき君等の 乳房 夏来る」
先日、四ツ橋の交差点で信号待ちをしていた時、横に立ち止まった女の子いでたちは目にも鮮やかなグリーンのサマーウールのTシャツ、背には背嚢ならぬ黒のリュック、右手にはパッパ(煙草)をはさみ、足元は当然当世流行の踵の高い箱靴である。そしておそるべき乳房が高々と掲げられている。元々冒頭の句は西東三鬼の昭和二十一年の作で、戦時中の制服であったモンペをかなぐり捨てて、女性は思い思いの自由な服装で、豊な胸の線を誇らかに示して憚らない時代がやって来たと言うのだが、私には今の方がものすごいと言う感が強い。

◆然し、今ここで、大正浪漫の旗手、石川啄木の「海恋し 潮の遠鳴り数へつつ 乙女となりに父母の家」なんて言うのと比べ合わせた時、その隔たり大きさに愕然とする。勿論吾々とは全然違う世界の話である事は百も承知であるのだが、ほとほと階前の梧葉既に秋風の感が強い。それが世の中うまくしたもので秋風は秋風の世界がある。

◆「炎天や 死ねば離るる 影法師」西島麦南
随分といやな事を言う男である。太陽のある限り影法師からは逃れられない。炎天の日には特に影法師がくっきりする。その炎天でも自分が死んでしまえば影法師は無くなる。何時も付きまとう影法師も所詮生きている間だけの伴侶であると言うこの人独特の死生観がある。人生に対するあきらめ
と言うか諦観の良く表れている句である。今一つこの人の句に「玉の緒の がくりと絶ゆる 傀儡かな」がある。正月、紋付きの人形遣いの箱の上の人形は、主人が祝儀を貰うので緒を握っていた手を離すと、人形は首を垂れひざから崩れ落ちるのである。それを生命が絶えると見た麦南の死生観が良くでている。

◆「朴散華 即ちしれぬ 行方かな」
川端茅舎の句である。いさぎよい朴の散りあとと、自分の生命の行く末とを重ねている。この句は茅舎の絶句と言ってもよく、その後に来た死とを重ねあわせると、この句のもつ深い意味合いを知る事が出来る。

◆「蟋蟀(こおろぎ)が 深き地中をのぞきこむ」 山口誓子
この句には考え込んでしまう。「蟷螂(かまきり)の しだいに眠く 落ちゆけり」
「夜はさらに 蟷螂の溝深くなる」
これらは誓子が三高から東大を出た後、住友合資の社員として勤め出し、先の見えない大東亜戦争に突入した昭和十七年頃の作品である。当時は明るい展望は何も無く、果てしない地の底にだけ直面していたと言う感じである。

◆ここで私の好きな句を一つ。「新月や 蛸壷に目が 生えるころ」
佐藤鬼房の句である。夕空に細い新月がかかる頃、海底では蛸壷に蛸が入り、壺の口から目だけを覗かせている。芭蕉は同じ蛸壺を「蛸壷や はかなき夢を 夏の月」と詠んでいる。最後にすごいのを一句。
「かりかりと 蟷螂蜂(かまきりばち)の 顔を噛む」誓子

【大岡 信著 百人一句より】

(平成13年7月5日)