時空を超えてー春男の雑記ー122 高橋由一「墨水桜花輝耀の景」

◆日本経済新聞の日曜版には全面カラーで「美の美」と言うタイトルで美術紹介が載る。先週は「美人画の小宇宙」であった。江戸風俗を生き生きとした視線で描き続けて来た錦絵が、やがて明治になり、洋画の流入と期を一にして美人画は姿を消して行き、今ではむしろ海外で生き残っているのである。

◆江戸時代においては版画の美人画を男性が愛する一方、女性もその時のファッションの取り込み先として美人画を鑑賞し、それが当時の女性のファッションをリードしたのも事実である。

◆ここに登場してくる画家は高橋由一(1828〜1894)という幕末から明治にかけて活躍した洋画家である。明治5年、ある人が江戸吉原の花街の光景や風俗が廃れるのを憂い、高橋由一に依頼して花魁の姿を油絵に残そうとした。だが、殆どの遊女は、錦絵に描かれるのなら兎も角、油絵に描かれる事は拒絶する中でただ一人、これを悠然と受諾したのは吉原稲本楼の小稲であった。

高橋由一、<花魁>、1872年、東京芸術大学

◆しかし出来上がった絵を見た小稲は「妾はこんな顔ではない」と泣いて怒ったと言う。成る程今までの美人画等とは全然違ったリアルはもので、この辺から画家自体の主張する美人画に入っていく時代となる。だからあの有名な岸田劉生の愛娘麗子像の一連の作品にもそれは言える。当然愛情を込めて描いたのであるが、一寸も可愛らしいとか美人であるとは言えない。之も決して偶然ではなく、二人の絵は大変似ているのである。因みに今高橋由一の「花魁」は東京芸術大美術館所蔵で重要文化財になっている。また一ヶ月程前にこの人が明治13年に描いた後援者でもあった讃岐の金比羅宮の宮司の肖像画が当地で発見されている。

◆岩本昭が「わたし流の美術館」の中で「墨水花輝耀たり」と言うエッセイにたまたま高橋由一の絵にめぐり合って、入手したいきさつを書いている。ある日、谷中の古物のボロ市を覗いて見たが何も無いので、広場のはずれでニ三軒が店をひろげている露店の古物屋を見るとも無く見ていると、そこの親父が後の塀に立てかけた絵を買ってくれと盛んに言う。銘も無い絵だが額縁が良いし箱書きが良く読めないが高倉典司がどうのと書いてあるから宮中の御用絵師でもが書いたのだろうまた仲間からどうせ模倣画だろうと言われて嫌気が指して、安くしておくから買ってくれと言うのだろうとつい買ってしまった。

高橋由一、〈墨水桜花輝耀の景〉

◆その後、色々調べて見ると、高橋典司という人は昭憲皇太后の御宮の内侍司の最高位の女官であった。この人が退官の時貰ったものらしく、その後一転二転して谷中の露店の古物屋で持余されていたのだから世の中面白い。阿刀田高が言っている「チャンスは前髪に宿る。故に常にチャンスの神の前髪を掴まなければならない」と・・・。当然素養も要りますなぁ。

◆この絵はその道の大斗の鑑定を受け、今は鎌倉の近代美術館に寄託されている。「墨水桜花輝耀の景」は要するに隅田川土堤の夜桜なのだが、隅田川の向こう岸は丁度牧谿の絵を見る様である。然し私はとてもチャンスの女神の前髪はよう掴まん様である。

(平成13年8月20日)