時空を超えてー木々高太郎の雑記ー⑯男の最後の止まり木

◆本棚に前からある諸井薫のエッセイがなんとなく気になるので読んでみた。

◆そこには東京にある大会社待合の交流クラブが書かれている。大阪ならさしづめ堂島にあるSクラブの様なものである。この会員制クラブの主役は、若い人も来るが殆どは現役をリタイアした人達だ。

◆最近は新聞でその名前を見る事もなくなった保守党の長老が秘書に支えられてテーブルにつく。かつて華々しかった駐米大使がひと回り小さくなって座っている。あれはA銀行の四代前の頭取ではないか。

◆現役の経営者や代議士が、大先輩の姿を見付けて近づき。深々と頭を下げている。それをつかまえて長談議が始まると、とりつくろった笑顔の影に困惑の表情がありありと見えたりすることもある。然し老紳士にとってはこれが生き甲斐である事も確かである。

◆する事もなく、早めの夕食を済ませ、うたた寝をしている内に寝入っている様な暮らしは、人生の終焉に向かって駆け足で近づく様なものではないか。昔の様に会社から家に辿り着く間をいくつかの止まり木につかまって過ごした時間を今持ったら、老いや死はきっとその分だけ先送りになるのではないだろうか。

◆身じまいだけは昔通りに挙惜態度はいささかの悔りも受けまいとばかりに昔以上に心掛けつつ優雅に振舞う紳士達にとって、このクラブは唯一残された最後の男の止り木なのかも知れない。そしてこのクラブに来ると、そう遠くない先に訪れるであろう止り木喪失の季節に決って想いを馳せるのであると「諸井氏」は語っている。人事ではない身につまされる。

◆木材界の老人クラブ的な会の幾つかに私は首をつっ込んでいる。これが私の最後の止り木だと叫び、難しい事言わんと飲みましょうやーというのが私の持論だ。

◆業界の長老Oさんは知る人ぞ知るの酒豪の一人だ。私事で恐縮だが、このOさんを含めて、何故か気の合う四人の年齢をたすと大体三百四十五歳位になる。問題なのはその次で、何時もお酒十五、六本は飲むのだから家族の人が聞いたら、ええ加減にしてくれと苦情がきても仕方の無い情況だ。

◆然しこの酒の飲める最後の止り木は、誰がなんと言っても放さないと言ってるのだから心強い次第で、それだけに吾々の団結心も固い。

(平成9年3月25日)