時空を超えてー木々高太郎の雑記ー㊼ 五月一八日(コトバ)の日

◆目に青葉山時鳥発鰹、といきたい処だが昨今は梅雨の走りの様な、うっとうしい天気で、これが総てを表している様で嫌になる。一杯やり乍らラジオを聞いていたら、今日は5月18日ですが何の日ですかと言っている。そんな事知る筈がないと思っていたらゴロ合わせでコトバの日だと言うので驚いた。

◆或る外人さんが新聞に書いていたのに日本語で一番便利な言葉は「どうも どうも」だそうだ。挨拶は勿論、片手で会釈をして“どうも“と言えば前を通してくれる。

◆また不得要領あいまいな言葉が威力を発揮するのは、お葬式の時のお悔みである。小さい声で「この度はどうも」で総てが通じるのである。阿吽の呼吸と言うのか、お互い相手の胸中を押し計った気持ちになるのだから大変便利な言葉だ。受ける方も頭に「誠に・・・」ぐらいを付けて「どうもどうも」と言っておれば充分挨拶として成り立っているのである。

◆次に現在、挨拶の言葉として定着している「今日は」も、昔は当然「今日は良いお天気で結構な事です」とか「今日はご機嫌よろしく」等と言っていたのが、今日はだけで総てが済む様になったのであって、言語的には韓国の安寧(アンニョン)ハンムニカ等は随分美しい挨拶言葉と思う。

◆五月の初めの卯の日に住吉神社では、卯の葉神事と言うのが行われる。境内には卯の花の咲き乱れる一角があり、神社には舞楽の舞われる石舞台がある。又、豊臣秀頼が奉納した。舞楽の時の音楽を奏する楽舎(重要文化財)がある。今年の卯の葉神事の奉納舞楽には安摩と言う舞楽が行われていた。非常に格の高い舞で、四拍子の太鼓と笛だけで舞う。

四天王寺の石舞台

◆これが一応済んだあとで、又年寄りの面を付けた二人がよろよろ現れ、先の舞のマネをおどけてするのである。之を二の舞と名付けている。これから“二の舞を踏む“と言う言葉が出来ている。語源は大層な処から出ているのだが、庶民が別に抵抗もなく使っている処が面白い。

◆関西外大の堀井れいち先生は大阪弁について面白い事を書いていて大阪弁の「せいてせかんこっちゃないけど」と言うのを取り上げている。急ぐ様で急がないと言うのは表面上で、そうゆっくりもしておれないから、できるだけ早くと言う事になるから、こんな事を言われたうかうかしていられない。あの「考えときまっせ」と一緒で本気にしたらえらい目に合うと言う事、皆さんどうぞしっかりして下さい。

(平成10年6月5日)